エドガー・ライス・バローズは1875年9月1日、アメリカのシカゴで、工場経営者だった父のもと、4人兄弟の末っ子として生まれた。旧南軍少佐でもあった父の影響もあって職業軍人をこころざしたが、病気に加えウェスト・ポイント陸軍士官学校の入学にも失敗してあきらめることになる。なお、このころにわずらったリウマチの発作が遠因となり、バローズは生涯にわたって心臓病と闘い続けることにもなった。
その後、父の経営する電池製造工場の事務員、騎兵隊員、会計係などさまざまな職業を転々としたのち、1900年には25歳で10年越しの恋人と結婚。だが、生活は安定せず、さらに鉱山師、鉄道保安官、速記屋、カウボーイ、セールスマンなどを転々とし、広告代理店などの事業にも手を出したが、どれも長くは続かなかった。そのころ『事業を成功させる法』というハウツーもののゴーストライターをしたことが文章を書くきっかけになった、という話も伝わっているが、事実かどうかは分からない。
やがて子供も産まれ、ますます生計の苦しくなったバローズは、1911年、暇つぶしのために手に取った大衆小説誌に掲載されていた小説のつまらなさに発奮し、自分ならもっと面白い小説が書けるはずと36歳にしてはじめて、「火星の月の下で(Under
The Moons of Mars) 」という長編の書き出し部分を当時の大衆読物雑誌〈オール・ストーリィ〉誌の編集部に送ってみた。これが幸運にも集長トマス・N・メトカーフの目にとまり、指導を受けながら完成した原稿は同誌の翌
1912年2月号から6回連載の形で掲載されることになった。この処女作こそ、のちに 〈火星シリーズ〉 全11巻の第1作として、 『火星のプリンセス(A Princess of Mars)』 と改題されて出版された、記念すべき作品である。
処女作はまずまずの評価を得たが、その後書かれた第2作『類猿人ターザン(Tarzan of the Apes)』によって、バローズの作家としての成功は完全に決定的となる。この作品は、〈オール・ストーリィ〉1912年10月号に一挙掲載され、なみはずれたストーリイ・テラーとしてのかれの声価を決定的にした。以後、この
〈ターザン・シリーズ〉 は筆を折るまで書き続けられ、死後に発見されて刊行された分もあわせると、バローズ最大最高の人気シリーズとして全26巻にも達することになる。
さらに 〈地底世界シリーズ〉 、 〈金星シリーズ〉 等々の秘境・異世界・別世界を舞台にした空想冒険小説を多数発表し、SFやファンタジーの分野に与えた影響も多大なものがある。彼の遺した地球外世界を舞台にした雄大なスケールとスリルを兼ねた作品群はのちにスペース・オペラと呼ばれるSFのサブジャンルの端緒を開くとともに、その原型を確立したとして多くの模倣者をも排出した。バローズをスペース・オペラに含むべきではないという考えもあるが、バローズの作風の影響下で、発展的に発生してきたSFのサブジャンルであることは歴史的な事実だろう。
またバローズは他に普通小説や戯曲、ミステリなども書いているが、評価を得ているのはSFや冒険小説以外では歴史小説、 ウェスタン などの娯楽性の高い分野に限られている。その人気はターザンの映画が大成功したこともあって、広範かつ熱狂的で、アメリカ一の人気作家としてもてはやされた。
1917年にはカリフォルニアのサンフェルナンド谷に土地を買って豪邸を建て、ランチョ・ターザナと名づけて住み着いた。のちにこの一帯は正式にターザナと命名されている。
しかし、小説家としての大成功とは逆に家庭的にはあまり恵まれなかった。1933年12月6日、33年間の伴侶であった妻エマと離婚。バローズの心はそのかなり前から、ターザン映画の関係スタッフの一人、アシュトン・ディアホルトの妻、フローレンスに傾いていた。そして、翌1934年にディアホルトと離婚したフローレンスは1935年5月にバローズと正式に結婚したが、この結婚も6年しかつづかなかった。1941年3月18日、ハワイのホノルルに二人が建てた邸宅で、フローレンスは離婚を申し出た。理由は性格の不一致と精神的虐待だった。
第1次世界大戦に陸軍の予備役少佐として応召したのち、ターザンの映画化権によって巨万の富を得たバローズは1930年代末にホノルルに移り住んだ。そのバローズの住むハワイをきっかけにして太平洋戦争が勃発した。70歳、第2の結婚に破れたバローズは、目前で開戦された太平洋戦争にその熱っぽい闘志を燃え上がらせたのである。かれは戦時報道要員としての登録を行なった。そのために、書きかけていた〈金星シリーズ〉や〈ターザン・シリーズ〉の新作が未完のまま終わったことはわれわれ後年のファンにとっては残念なことであった。
やがて第二次大戦は終わった。従軍記者として第2次世界大戦でのマリアナ作戦に参加したバローズは、そのためにもともと持病だった心臓病を悪化させ、隠退を余儀なくされた。
1950年3月19日、月曜日の朝、ターザナにちかい南カリフォルニアの町エインシーノで、心臓疾患によりバローズは逝った。享年74歳であった。
死後数年のうちに、彼の作品のほとんどが絶版となり、作家としてのバローズも事実上死んでしまったかのようだった。それでもかろうじて生き続けたものがあった。ターザンである。ハリウッドでは新作映画が次々と制作され、新聞マンガや子供向け漫画本も好評のうちに継続していた。しかし、小説としてはわずかに子供向けのターザン読み物がこの偉大な大衆作家のか細い遺産だった。
ターザナにあるバローズ有限会社の著作権管理機能も麻痺していた。再版に関する出版社からの照会はことごとく無視、あるいは拒否されていた。著作権更新の手続きすら見落とされ、彼の作品はひとつ、またひとつと権利消滅の状態に陥りはじめた。しかし、その宝庫に手を出すものもなかなかいなかった。一部のマニアが初期に雑誌に発表されたきりになっていた作品を自家版のパンフレット形式で出版するだけの期間が10年以上にわたって続いた。
1962年、ジャック・ビブロとジャンク・タネンは共同経営する小説の絶版図書専門の古本店でもっとも需要の多い作家がバローズであることに気づいた。初版本を探求するマニアからたまたま読んだ彼の作品に惹かれて探す普通の読者まで。復刻専門の小さな出版社も経営していた2人はターザナのバローズ有限会社に問い合わせたが、返事はなかった。さらに調べていくと、驚くべき事実に行き当たることになった。バローズの著作のほぼ半分が著作権消滅の状態にあったのだ。
2人はカナベラル・プレスの名の下にバローズ作品の復刻を開始した。時を経ずしてバランタインやエース・ブックスなど他の多くの出版社も追随し、競ってバローズ作品を刊行しだした。1年間だけで総計1000万部もの売り上げを記録、これは当時の全米ペーパーバック売り上げ全体の30分の1に達する量だという。全米出版史上に残るバローズ・リバイバル・ブームの到来である。
アメリカの出版史上において語りぐさになったというこのブームは多くの波及効果ももたらした。その最大のものは未発表原稿の発掘だろう。ターザンものの新作や歴史もの、冒険小説など、第1線を退いたあとのバローズが悠々自適の生活の中、自由に書きたいものを書きためていたそれら新作が、大量に発見されたのだ。なかでも〈地底世界シリーズ〉の完結編として第7巻『
ペルシダーに還る 』の掉尾を飾ることとなる短編「野生のペルシダー」の発見は多くのファンの飢えを癒やし、1963年のヒューゴー賞中篇部門のノミネート作品にも選ばれた。死後10年以上を経てのことであった。また金星シリーズの新作や、意欲的なSFの新シリーズも発見されており、それらは短編集『金星の魔法使(Tales of Three Planets)』としてまとめられ、刊行されている。
それだけでも終わらない。ターザンものの未完原稿はその後、熱心なファンの手によって結末が追加され、1995年になって刊行された。この『Tarzan : The Lost Adventure』は現在、デル・レイ・ブックスよりペーパーバックとして刊行され、容易に入手できる。1998年には20代のころに書いた習作的な妖精譚が発掘され、バローズ直筆のイラストとともに刊行されたし、1999年にも未発表だった戯曲やロマンチック・ミステリーものが出版されている! 1950年に没した作家の未発表の「新作」が死後50年にならんとする1990年代に読めるという事実は、この作家の偉大さを象徴してはいないだろうか?
バローズの存在は、本国アメリカではもっぱら 「ターザンを創った男」 として知られ、ターザン一辺倒のファンが多いように見受けられるが、日本では東京創元社から武部本一郎画伯の手になる秀麗な表紙、口絵、挿し絵を添えて出版された作品群の印象が強く、また野田昌宏氏がスペースオペラを系統的に日本に紹介した名著「SF英雄群像」で大きく紹介されたこともあってSF黎明期の代表的な作家の一人と見なされている。翻訳書はよく売れ、東京創元社、早川書房らが争って刊行したほか、講談社版、集英社版、角川書店版等、多くの主力出版社より刊行された。ただし、そうはいってもバローズ紹介が進んだ背景には、東京創元社の厚木淳氏の功績が大きいだろう。主要な作品は、ほとんど厚木氏の翻訳・編集のもと、刊行されている。ただ、大衆向けとして売れたこともあってか、マイナー期のマニアックな本格
SFファンからの受けは決してよくはない。
ベストセラー、ロングセラーとして長く広く読まれ、愛されていたこれらのバローズの作品群だが、エンターテインメントの枠が広がった昨今は不遇で、目録上からも削除されつつあるほか、書店で見かけることもなくなってしまった。最近まで、書店の店頭で容易に入手できるバローズは、ハヤカワ文庫SF版『類猿人ターザン』、創元SF文庫版『時間に忘れられた国(全)』のみであった。
が、しかし、復活の動きもあることを見落としてはいけない。
ここ数年のバローズ再発見ブームは(ブームと呼びたくなるほど)際だっているのも事実だからだ。
ターザンが地底世界でマハール族と戦い、アムターをも訪れるというマニア受けの傑作TVシリーズ〈Tarzan : The Epic Adventure〉の放映、ターザン、バルスーム、ペルシダーのフィギュアの発売、前述のターザンものの幻の1作の発掘、ターザンもの2編を1冊にまとめたペーパーバック・シリーズの発刊、幻の処女作"Minidoca"(バローズが20代の頃に書いた妖精譚)の刊行、キャスパー・ヴァン・ディーン、ジェーン・マーチら人気俳優を配した劇場版映画"Tarzan
and the Lost City"の公開、そしてディズニーもアニメ映画『ターザン』を日本を含む全世界で公開し、好評を得た。『火星のプリンセス』の映画化も、監督も決定して動き出しているという。
日本に目を転じても、その傾向が現れてきている。東京創元社は〈火星シリーズ〉全巻を再刊した。そして、それと平行して〈ターザン・シリーズ〉の緒2巻も刊行した。映像メディアにおいてもディズニー映画『ターザン』の公開に続き、〈Tarzan
: The Epic Adventure〉も『ターザンの大冒険』の邦題でNHK BS2より放映された。
歴史はめぐる。よい作品はかならず、また認められる日が来る。
エドガー・ライス・バローズの魅力は歴史に埋もれることなく、輝き続けるのだ。