早川書房刊行SFマガジン 1996年10月号(通巻484号)所載
story/あらすじ
伝記文学の一ジャンルに、架空の存在と思われている人物が実は実在している、またはしていたと主張して書かれる作品がある。成功した例を挙げるなら、ブレイクニー著『サー・パーシー・ブレイクニー――事実かフィクションか?』Sir
Percy Blakeney: Fact or Fivtion?(紅はこべの伝記)、ベアリング=グールド著『シャーロック・ホームズ――ガス灯に浮かぶその生涯』および『西三十一番街のネロ・ウルフ』Nero
Wolfe of West Thirty-Fifth Street、パーキンスン著『ホレイショ・ホーンブロワーの人生と時代』The
Life and Times of Horatio Hornblower、それにフレイザーの『フラッシュマン・ぺ−バーズ』The
Flashman Papers(現在三巻まで刊行)などだ。実は公立図書館では、こうした作品が「伝記」として扱われていることがままある(イリノイ州ペオリアの市立図書館では、ブレイクニーの本が「伝記」の棚に並んでいる)。
わたしもこういう「伝記」を2冊書いている。『生きているターザン』Tarzan
Alive と『ドック・サヴェジ――その黙示録的な生涯(仮題)』Doc
Savage : His Apocalyptic Life だ(前者はカリフォルニア州のユマ市立図書館で、「伝記」の棚におさめられている)。ほかにもシャドウ、アラン・クオーターメン、フー・マンチュー、ダルタニアン、トラヴィス・マッギーなどなど、多くの人物の伝記執筆を計画している。そうそう、フー・マンチューは実在の人物がモデルになっている可能性がある。ハノイ・シャンというベトナム人で、20世紀初顕のフランスにおけるその活動は、あらゆる点でローマーが創造した人物の邪悪さと狂乱ぶりを髣髴とさせる。この話を知ったとき、わたしはもう『生きているターザン』の中で、フー・マンチューには実在のモデルはいないと書いてしまったあとだった。
こういう「伝記」を書くのはとても面白いが、困難な作業でもある。SFを書くのと同じくらいの想像力に如えて、いろいろな調べものが必妥だからだ。歴吏的な事実を無視するわけにはいかない。ベアリング=グールドはホームズの伝記を書くに当たり、膨大な学術調査を行なった。ベイカー・ストリート・ジャーナルをはじめとする定期刊行物の記事に、すべて目を通したのだ。し
かもそれらを読むだけでは足りない。研究し、決定を下す必要があった。なにしろ互いに矛盾するたくさんの説が入り乱れているのだ。その中から、もっとも適当と恩えるものを選択しなければならない。しかも理論や推諭が欠落している部分では、自分で説明を考え出さなくてはならなかった。矛盾点の解明も必要になる。これがまた、ホームズの生涯を記述したワトスンの文章には山ほど存在しているのだ。ここで付け加えさせてもらうと、バロウズもやはりセミフィクションとして書いたグレイストーク卿のキャリアの中で多くの矛盾をきたしており、それについては(できるものなら)研究者が説明をつけなくてはならない。また主入公の人生にも、伝記作家が埋めなくてはならない空自がある。原作者が主人公の家系図を無視している場含は、これも伝記作家が調査しなくてはならない。
時として伝記作家は、実証できないことを事実として書いてしまう。ベアリング=グールドはホームズがチャレンジャー教授の従兄弟であると書いたが、〈正典〉の中にその証拠を見いだすことができないために、シャーロッキアンから大いに批判を受けた。宰いにも、わたしが『生きているターザン』に書いた関係は確認を取ることができた。ターザンの母親がラザフォード家出身だという事実から、従兄弟関係を確かめるのに必要なヒントを得ることができたのだ。
以下に載せるのは「グレイストーク卿」へのわたしのインタビュウの一部で、エスクワイア誌の1972年4月号に「ターザンは生きている」"Tarzan
Lives"という題名で掲載されたものだ。この号には、はじめてグレイストーク卿の本物の肖像が掲げられた。ジャン=ポール・グードが描いた絵を写真撮影したもので、エスクワイア誌のスタッフにはこれを手に入れるのに長い時間とかなりの面倒をおかけした。この場を借りて感謝の意を表しておきたい。グードがグレイストークの親友だったフランス海軍のポール・ダルノー提督の親戚だったためにこの絵の制作を依頼されたという報告については、まだ裏を取っているところだ。ホームズの場合と同じように、グードも4人の有名なフランス人画家の父親であるアントワーヌ・ヴェルネの子孫だったといわれている。
(フィリップ・ホセ・ファーマー/嶋田洋一訳)
Contents
編者注――以下のインタビュウを記録したファーマー氏は、エドガー・ライス・バロウズが“類猿人ターザン”と呼んだ人物の伝記の執筆に、数年来にわたり携わってきている。ダブルディ社から今年4月に刊行予定のファーマー氏の著作「生きているターザン」Tarzan Alive は、その方法論においてべアリング=グールド著「シャーロック・ホームズ――ガス灯に浮かぶその生涯」や、パーキンスン著「ホレイショ・ホーンブロワーの人生と時代」The Life and Times of Horatio Hornblower に類似しつつも、重要な一点ではっきりと異なっている。すなわちファーマー氏は、グレイストーク卿やターザンが実在の人物であることを断固として主張するのである。事実、赤道をわずかに離れた西アフリカ沿岸の国ガボンの首都、リーブルビルのホテルの一室で、ファーマー氏はこれ以上ない確証を得ている。「わたしは本人に会った。ホテルの部屋で、相手を目の前にしたんだ。9月1日、エドガー・ライス・バロウズの誕生日だった。身長は6フィート3インチくらい、体重は240ポンドといったところだったろう。派手なアクションの場面はもちろん見ていないが、部屋の中を動きまわる様子からだけでも、その肉体の強靱さは想像できた。バロウズも書いているとおり、ヘラクレスよりもアポロンを思わせる。その力は筋肉の量にではなく、質に基づいているんだ。正直に言って、わたしは畏怖を感じた。もちろん不安もあった。調査を尽くしはしたのだが、なお偽物に踊される可能性は残っていたからだ。だがドアをノックして、深く豊かな声が「どうぞ」と言うのを聞いた瞬問、これは本物だと直感した。実際に動くところを目にして、確信はますます深まった。豹のような、流れる水のような動きだった」以下はファーマー氏によるインタビュウである。
ターザン はじめまして、ファーマーさん。
ファーマー はじめまして、閣下。
ターザン よかったら、ただ単にジョン・クレイトンと呼んでいただいたほうがいい。わたしは実際のものも架空のものも含めてさまざまな称号を持っているが、少なくともジョン・クレイトンというのは、間違いなくわたし自身の名前だと言えるものだからね。とはいえ、わたしの正体を示すものでないことは、もちろんあなたならご存じだろうが。
ファーマー 失礼しました、サー――クレイトンさん。さて、電話でお話ししたところでは15分しか時間がないということでしたので、さっそく本題に入らせていただきます。すぐに質問を始めたいのですが、構いませんでしょうか。
ターザン いいとも。テープレコーダーはないのかね。ない? けっこう。
ファーマー ではまずはじめに、なぜこのインタビュウを受けていただけたのでしょうか。
ターザン それはこちらの問題だ。だがわたしの人生をいろいろと調べてくれた、あなたの努力に敬意を表したのだと言っておこう。面映いことだが、わたしもそういうのが嫌いではないのでね。しかもあなたは、わたし自身さえ知らなかった家族のことを詳しく調査してくれたらしい。系図調べはわたしも興昧をそそられるところだ。何しろ好奇心旺盛なたちなのでね。わたしからもいくつか質間させてもらいたいことがある。
ファーマー 構いませんとも。でもその前に、まずどうしてあかたがそういう、いささかアメリカふうの英語を話すようになったのかを聞かせていただけますか。あなたの誘し方は、わたしの故郷であるイリノイ州の英語にそっくりです。電話でお話ししたときそう思ったんですよ。公爵というのは、教養あるイギリス英語を話すものだと想像していましたので。
ターザン わたしは話しかけられたとおりに話しているだけだ。英語はわたしが最初に話した言葉ではなく――最初に読んだ言語ではあるわけで、これはやや異常なことかもしれないが――それどころか、最初に話したヨーロッパの言語ですらない。わたしが最初に訪れた英語国は、アメリカ含衆国だった。ウィスコンシンだよ。1909年のことだ。当時はまだ20歳そこそこで、あまり英語になじんでいなかったわたしの耳に、大量のアメリカ英語が流れ込んできた。とはいっても、英国に行けばイギリス英語を話すがね。わたしには物真似の才能がある。たいていは話し相手の言葉に含わせているんだ。一度だけ貴族院で演説をしたときには、ちゃんと公爵が話すように――公爵が自分たちはこういう話し方をしていると思っているように――話した。ところで、少しぴりぴりしているようだね。飲み物はどうかな。スコッチならお付き含いしても構わんが。
ファーマー ありがとうございます。でもあなたがアルコールをたしなまれるとは驚きました。ターザン
禁酒家だと思っていたかね。たしかに長いことアルコールは遠ざけてきた。文明的な人々の中で過ごしたはじめのころ、過度の飲酒の結果を目にしたばかりでなく、みずからもそれを縫験していたからね。何年ものあいだ、わたしは一滴のアルコールも口にしなかった。だが若かりしころの無分別は、どうやち影をひそめたと思えるようになった。完全禁酒をしなくても節制はできる。何といってもわたしはもう――
ファーマー 82歳におなりでしたね。このインタビュウが発表されるころには、もう83歳になっておられるでしょう。でも外見から判断する限りでは、35歳くらいにしか見えません。やっぱりあの話は本当だったんでしょうか。呪術医から感謝のしるしとして不老不死の処置を受けたという――
ターザン あれは1912年のことだ当時わたしは24歳だったから、きみの目から見ても10歳ほど年を取ったことになる。あの処置は老化の進行を遅らせるだけのものでね。バロウズはいつもの調子でその効果をいささか誇張して書いたわけだ150歳かそこらになれば、わたしだってよぼよぼになっているさ。
ファーマー あなたの肉体の話に戻りたいのですが、バロウズのことを持ち出してこられましたから……何しろバロウズは、あなたの人生とご家族に関する最大の情報源なわけで――
ターザン バロウズの話がどの程度正確なのか知りたいのかね。統けたまえ。
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ファーマー ターザンについての最初の著作である『類猿人ターザン』の中でバロウズは、1888年に妊娠中だったあなたの母上が、英国政府の密命を受けてあなたの父上とともにアフりカに赴いたと書いています。二人は小さな船を雇いますが、乗組員が反乱を起こしてアフリカの海岸に置き去りにされてしまう。そこはポルトガル領アンゴラで南緯10度、ケープタウンから北へ1,500マイルのところだったとか。ですがどうもわたしには、あの本に描かれている多くのシーンが、アンゴラで起こり得たとは思えないのです。
ターザン そのとおりだ。実際にはわたしの両親はまさにガボンに置き去りにされた。当時はフランス領赤道アフリカの一部だった。わたしが生まれたのはここから190マイルほど南の、現在は小ロアンゴ国立公園になっているあたりだ。ちょっと事実を調べれば、誰にでも推測できることだと思うがね。わたしの出生地にはゴリラがいたと書かれているが、ゴリラはコンゴ以南には棲息していない。アンゴラはコンゴよりもさらに南だ。また数年後に同じ場所にやってきて、将来の妻であるジェーンを合むポーター教授の一行を救出したのは、フランスの巡洋艦だった。その際ダルノー中尉があとに残され、文明人としてわたしの最初の友人になるわけだ。ポルトガル領であるアンゴラの沿岸を、どうしてフランスの軍艦が巡視しているはずがある?
ファーマー ガボンの熱帯雨林には、ライオンも縞馬も犀もいません。バロウズはジェーンのあとからご両親のキャビンに忍び入ろうとした雌ライオンの首を、あなたがフルネルソンでへし折ったと書いていますが?
ターザン 雌ライオンとあるのは、実は豹のことだ。小型の雌ライオンほどもある大きなやつで、現地ではインジョグと呼ばれている。首を折ったのは本当だよ。その何カ月か前に、バロウズがターコズと呼んでいる大猿と戦ったとき、独自にフルネルソンを編み出していたんだ。
ファーマー どうしてバロウズは事実をそのまま書かなかったんでしょう。
ターザン ファーマーさん、実際のわたしの人生と、バロウズがわたしの人生として書いたものとは、とてもややこしく絡み含っているんだ。いろいろとわけがあって、バロウズの採った方法をすべて説明するわけにはいかないがね。だがそんなことをした理由は話しても構わないだろう。きみもある程度見当をつけているかもしれないが。まず第一に、バロウズは作家だった。事実をそのとおりに描く義務は負っていなかったんだ。わたしが無理強いをすれば訴訟沙汰になって、こちらも法廷でいろいろと質間されるはめになっていたろう。わたしとしては、それは何としても避けたかった。この点については、ハワード・ヒューズ氏の気持ちがよくわかる。実は『類猿人ターザン』を見てわたしはバロウズに連絡を取り、もっと小説らしく、荒唐無稽なくらいに書いてくれと頼んだんだ。これはジェーンの発案だった。もしわたしが架空の人物ではないとわかってしまったら、プライバシーなどなくなってしまうと言ってね。
第二の理由として、バロウズ自身もすべての情報を得てはいなかったということがある。はじめてわたしのことを耳にしたのは、1911年の冬だったはずだ。当時わたしは文明世界に知られるようになってまだ2年ほどしか経っておらず、わたしの存在を示す記録は――父がアフリカで亡くなるまでつけていた日記も合めて――すべて英国にあった。日記を写真複写したものがここにある。見てもいいが、持っていってもらっては困るよ。とにかくバロウズは、アフリカはもちろんのこと、英国にさえ行ったことがなかった。情報は遠く離れた土地から口伝えされていたんだ。だから情報がない部分は、推測で補うしかなかった。その推測は、当たっている部分もあったが、そうでない部分も多かった。追真性を出すために、バロウズは惰報源が実際よりもずっと近くにあるような書き方をしているがね。
最後に、隠しておいたはうがいいことについては、あえて嘘を書いている。たとえぱ尖塔とドームが並び、山のような賞金と宝石に満ちた、失われたオパーの都へ至る方角だ。あの方角に進んでも、どこへも行き着けはしない。もっとも、あれに関してはさほどの間題はなかったんだがね。オパーの廃墟は、絶対にわからないようにわたしが隠してきたから。今そこへ行ってみても、きっと気づきもしないだろう。だがまあ、できればやめておいてもらいたいが。
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バロウズが書いた中には、完全な作り話もいくつかある。『ターザンの密林物語』の中で、月蝕を止めるために空に矢を放つ場面がある。1908年ということになっているが、その年にアフリカのあのあたりで月蝕は見られなかった。作り話だよ。
ファーマー 父上があなたに渡したという日記に、手許には医学書が何冊かあるだけだったと書かれていますね。あなたが生まれたのは1888年11月22日の真夜中を数分過ぎたころで、射手座と歎座が交わるときだったとあります。激惰の蛾座と、狩人の射手座だと。
ターザン そのとおりだ。占星術の本はいろいろ読んで、政治家の言葉を信用する程度には信じているよ。だが射手座というのは、弓を持ったケンタウルスだ。わたしの半獣半人性を象徴するものとしては最適だろう。わたしは弓の腕もいいしね。蛛座は独創性、親友、危険な敵などを象徴するが、これもわたしにぴったりだ。性的パワーにあふれているというのもあるな。ふむ。
ファーマー バロウズは女性があなたを誘惑する場面をいくつも描いていますね。むろんあなたは映画で描かれているような、まともに口も利けない猿人間ではないわけですが、弓がうまいというお話で思い出したことがあります。批評家の中には、あなたが弓の名手だったはずはないと主張する人がいます。マーシャル・マクルーハンの理諭から、読み書きのできる人間でなければ優れた弓手にはなれないと言うわけです。
ターザン 『機械の花嫁』と『メディアの理解』はわたしも読んだよ。マクルーハンは中世英国の弓兵のことを忘れているようだ。文字など読めるはずはなかったが、弓の腕前はすばらしいものだった。それに批評家のほうも、わたしが自分で英語の読み書きの練習をしていたことを見落としている。英語を話すことができなかっただけなんだ。
ファーマー ターザン映画はどう思われますか。
ターザン 最初に観たのは『エルモ・リンカーンのターザン』で、1920年のことだった。もう少しで舞台に駆け上がって、スクリーンを引き裂くところだったよ。いんちき臭いジャングル、寝ぼけたようなサーカスのライオン! リンカーンはわたしよりもむしろゴリラみたいで、わたしが絶対にしたことのない、ヘッドバンドなんか巻いてるんだからな。蔦にぶら下がって空中を移動するのも、チンパンジーのチータと同じで、あの映画が発明したものだ。バロウズの小説でも木から木へ飛び移る能力がだいぶ過大に描写されているが、蔦にぶら下がって移動するなんて場面はないはずだ。あんな、いわば樹上の道とでもいったものを猿みたいに動きまわるには、わたしの体重はいささか重すぎる。またわたしのことを育ての親の大猿の仲間だと思ったにしても、チンパンジーがあんな具含に信用してくれるなんてこともあり得ない。われわれは――つまり大猿たちは――もしチンパンジーをつかまえたら、食べてしまうだろうからね。だがそのうちに、わたしもターザン映画を楽しめるようになった。ジェーンがこつを教えてくれたんだ。
ファーマー アーサー・ケストラーは、あなたが精神的退行に陥らずにいることはできなかったはずだと書いています。猿や狼に育てられた子供が人間に発見されたという実例がいくつかあるということで、そういう場含、人間の言誘を習得することができないのだそうです。またある年齢までに言語を習得しないと、その後もしゃべれるようにはならないとも書いています
ターザン ケストラーはターザンの話を読んでいないらしい。読んでいれば、大猿たちが言語を持っていたことに気づいたはずだ。マンガニと呼ばれるあの大猿たちが実は人間に近い、ヒト科の生物だということぐらい、推論できてしかるべきだな。バロウズの初期の著作が、わたしからの簡単な情報だけをもとにして書かれたと言ったことは覚えているかね。データが足りない部分は、想像と誤解によって理めていかなくてはならなかった。バロウズは名前をでっち上げ、ガボンのジャングルにはいない動物を登場させた。マンガニのことも、大きな猿だというふうに描いた。父もマンガニたちを猿だと思っていて、日記にもそう書いている。だが父は動物学者でもなけれぱ、古入類学者でもなかったんだ。
マンガニは80年前でさえとても珍しい、絶減寸前の種族だった。猿と人間の中間に位置する生き物だ。アウストラロピテクス・ロブストゥスの大型の亜種だったのかもしれない。アウストラロピテクス・ロブストゥスの化石は、東アフリカのリーキーで発見されているからね。マンガニは――独自の呼称もあるんだが人間には発昔できないから、ここではバロウズのつけた名前を使っておくが――隆起のある頭蓋骨と、頑丈な顎を持っていた。腕が長くて、歩くときには拳を地面につけていたが、尻の形や足の骨は人間に似ている。その気になれば二足歩行もできた。
あとになってバロウズは、この“大きな猿”についてもっといろいろ知るようになったんだが、その後も最初のころの作品に合わせて、一貫性を保とうとしたようだ。それでも筆が滑ったのか、6冊目の『ターザンの密林物語』の中では、マンガニが直立して人間のように歩くと書いている。
もちろんわたしはマンガニの言葉を自由に話せる。発昔は正確というわけにはいかないがね。マンガニの口の構造は人間と違っていて、使われる発音のいくつかは、人間には真似しようのないものなんだ。だから英語ならいくつもの方言を使い分けられるが、マンガニ語はそれを人間ふうに発音したものになってしまうのさ。
ファーマー あの大きなマンガニのターコズは、本当にジェーンをさらってレイプしようとしたのですか。あなたはそれを父上の狩猟用ナイフで殺したそうですが。
ターザン 本当だ。これもマンガニがただの猿ではないという傍証の一つになるだろう。マンガニは人間をレイプできるがいゴリラにはできない。以前トレーダー・ホーンの回顧録で、雄のゴリラと原住民の娘を一つの檻に閉じ込めた白人貿易商の話を読んだことがある。ゴリラは何もせずに檻の隅にうずくまり、哀れな娘は泣きながら、反対側の隅にうずくまっていたそうだ。それを見つけたホーンはその白人を撃ち殺したそうだがね。いずれにせよゴリラの染色体は48対で、人間は46対しかない。ゴリラと人間の雑種はできないわけだ。だがバロウズは、人間とマンガニの雑種ができることを知っていた。
ファーマー アルバート・シュヴァイツァーは『トレーダー・ホーン』について、いくつかささいな矛盾があるものの、その描写はおおむね正確だと書いていますね。シュヴァイツァーがホーンの交易所のあとに家を建てたことはご存じでしたか。
ターザン ああ、アドリナノンゴだな。オゴウェ川沿いのランパレネから少し行ったあたりだ。よく知っている。カトリックの伝道所があった。1886年に設営されたんだ。ダルノー中尉とわたしが文明世界への旅で、ジャングルを抜けたのがあのあたりだった。
ファーマー どうやって英語の読み書きを覚えたのか、教えていただけませんか。わたしの知る限り、これはとてつもない偉業だと思えるのですが。何しろ一度も聞いたことのない言語だったわけですから。
ターザン 両親のキャビンのドアの鍵を開けられるようになったのは、10歳くらいのときだった。バロウズも書いているとおり、そこにはたくさんの本があった。もちろん、どれもわたしにはまったくのちんぷんかんぷんだったがね。だが中に一冊だけ、子供向けの、イラストを使ったアルファベットの学習本があった。弓を持った狩人の絵があって、「Aは、アーチャーのA アーチャーは弓を射る人です」みたいな説明がついてるやつだ。それで絵と文字が何か関係あるらしいと気づいた。あとは自分でも見当がつかないくらい長い時間を費やして、その関係を探っていったわけだ。17歳になるころには、子供向けの本が読めるようになっていた。文字のことは「小さな虫」に当たるマンガニの単語で呼んでいて、その機能も理解していた。きみが面白いと思いそうなことが一つあるぞ。英話の発音を知らなかったから、わたしは自分なりの発音の仕方を発明しなくてはならなかった。もちろん本当の英語の発音とは似ても似つかない、マンガニ語の規則をあてはめた発音だ。マンガニ語には二つの性があって、男性形には「ブ」、女性形には「ム」という接頭語をつけて区別する。わたしは見た目の大きい大文字が男性、そうでないのが女性だと思った。そしてアルファベットを覚えはじめた子供がするように、単語を文字にばらして読んでいた。マンガニ語の発音を適当に当てはめてね。たとえばgは「ラ」、oは「ツ」、dは「モ」といった呉含だ。だからたとえばGodという単語なろ、接頭語をつけて「ブラムツムモ」と読んでいたわけだ。「男g女o女d」という感じかな。もちろんこれはひどく煩わしいが、役には立ってくれた。父の本を読んで、書いてあることがわかったんだから。
マンガニ語の自分の名前を、アルファベットでどう書けばいいのかは知りようがなかった。だが本で白人の少年の絵を見たことがあって、それはマンガニ英語で「ブムドムツムロ」つまり「男女b女o女y」という読み方になった。だからわたしは自分のことをそう呼んでいた。
ファーマー バロウズによると、侵入者にキャビンを荒らされたことに気づいたあなたは、脅迫の文書を書いてマンガニ語の名前で署名したそうですね。英語での書き方を知らないはすのあなたが、なぜ署名できたのでしょう。
ターザン 名前を書いたんじゃない。マンガニ語の名前を翻訳して署名したんだ。「白い肌」とね。『類猿人ターザン』を書いたとき、バロウズはあの脅追状の文面を見ていなかった。だから自分で文章をこしらえて、わたしがマンガニ語の名前を書けなかったはずだなどという点はまるで気にしなかったんだ。バロウズは徹頭徹尾ストーリーテラーなのだよ。
ファーマー いくら本を読んでも、外の世界に対する理解が歪んだものになるのは避けられなかったのではありませんか。何しろ現実を参照するということができないわけですから。
ターザン わたしの理解は歪んでいたかもしれないが、現実だってそれに劣らず歪んでいたんだ。最初に見た人間は、ちょうどわたしの養母を殺したところだった。その男にとってはただの猿だったのだろうが、わたしにとっては世界でいちばん美しくてやさしい、愛すべき存在だったんだ。はじめて目にした白人は、自分の仲間を殺そうとしていた。人間というやつを永久に避けて暮らすようにならなかったのは、まったくの幸運だった。もしそうなっていたら、人間の愛を知らずに終わったろうからね。
ファーマー 成長して、自分が猿ではなく人間だと知ったとき、現地の部族の中に仲間を求めようとは思わなかったのですか。
ターザン 思わなかった。養母を殺したのがあの部族の者だったので、ずっと恨んでいたんだ。それにあれは食人族で、同じ部族の者でない人間は、すべて食べ物としか見ていなかった。白人と不幸な形で出会っていたということもあったしね。それにあの部族の女性は、髪から身体から全身に、ひどいにおいのする椰子油を塗りたくるんだ。わたしは嗅覚が鋭いから、とても我漫できなかったろう。とはいえ、もしジェーンが現われなかったら――
ファーマー バロウズはあなたを、人種偏見とは無縁の人物として描いています。
ターザン マーク・トウェインと同じで、わたしの持っている偏見も一つだけだ。人類という種に対する偏見だよ。
ファーマー その点を深く追及するのはやめておきます。多くの読者は、あなたがジェーンとジャングルの中で二人きりになったときの行動を、信じられないほど騎士道精神にあふれていると感じるようです。バロウズはこれを遺伝のせいだとしていますが、この説明で納得する読者は、現在ではどこにもいないでしょう。
ターザン いいかね、わたしは小説を読んでいたんだ。父の書庫にあったビクトリア朝時代の小説を。アーサー王と円卓の騎士と美しい貴婦人たちが登場するマロリーの作品も読んだ。わたしは騎士道というものを文字どおりにとらえていたんだ。それにジェーンを愛していたから、機嫌を損ねたくなかった。加えて、マンガニには倫理規範があった。ただの猿とは違うんだ。公衆の前で交尾はしないし、かならずしも満たされはしないものの、結婚相手には互いに誠実であることを求める。レイプに対しては、被害者の求めがあれば死をもって臨む。そうしたことを考えるなら、わたしの行動も理解してもらえると思うがね。
ファーマー あなたはバロウズがワジリと呼んだ黒人の部族の族長になっていますね。ロバート・ルイス・テイラーが書いたW・C・フィールズの伝記に、フィールズがかつてテックス・リカードと世界周遊の旅に出たことが記されています。そのときフィールズは、ワジリという裸族を歓待したことがあったそうです。これは1906年か0907年のことで、あなたがワジリ族と出会う何年か前になります。あなたのワジリ族は、何かフィールズのことを言っていませんでしたか。
ターザン それについては、残念ながら何も言うことはないな。
ファーマー バロウズが『ターザンとライオン・マン』に書いたことは、どの程度まで真実なのでしょうか。あの作品、わたしにはバロウズがハリウッドを批判するだけのために書いたとしか思えないのですが。
ターザン そう、あの作品はほとんど金部フィクションだ。もっとも、ハリウッドには一度行ったことがある。もちろんわたしが誰なのかということは、バロウズにしか明かさなかったがね。
ファーマー 本当に映画でターザンの役をやろうとしたんですか。そしてプロデューサーから、タイプじゃないといって断わられたと?
ターザン そうじゃないが、そういうことがあったとしても驚かないね。どっちにしても、あれは時期的に、ワイズミューラーの『類猿人ターザン』に出るにはもう遅かったし、バスター・クラブの『蛮勇タルザン』には少し早すぎた。バロウズには会ったよ。もちろん内密にだが、なかなか気に入った。優しくて、心が広く、自分自身やその作品のことを真剣にとらえすぎていないところがいい。文明世界の悪い点やぞっとする点をいろいろと見ていて、それを本の中で諏刺するんだが、そのやり方もスウィフト的というより、ヴォルテール的なんだ。むやみと辛辣になったり、歯を剥き出したりはしない。だがまあ、著者の話が出たところで、ちょっとわたしの好奇心を満たしてもらえるかな。わたしにたどり着くにはかなりの努力を要したと思うのだが、最初まずどの点で嗅ぎっけたのか、教えてもらえないだろうか。
ファーマー 昔からバロウズとアーサー・コナン・ドイルとジョージ・バーナード・ショウは、みんなあなたの一族のことを書いているのではないかと疑いをもっていたんです。3人とも、あなたの親族の個人名をたくみに暗号化していましたけれど。だからこの暗号を破って正しいものに――たとえばバーク貴族年鑑などに――あてはめてみれば、あなたにたどり着けるのではないかと思ったわけです。実際、そのとおりでした。ただわたしの推論はかなり長くて複雑なものですから、すっかり説明するのは本をお送りするまでお待ちいただきたいと思います。今日は時間も限られていますし。とりあえずあなたがドック・サヴェジ、ネロ・ウルフ、ブルドッグ・ドラモンド、シャーロック・ホームズ、ピーター・ウィムジー卿、レオポルド・ブルーム、それに(G8やスパイダーやシャドウといった名でも知られる)リチャード・ウェントワースなどといった、19世紀から20世紀にかけて現われた架空の人物たちの多くのモデルとなった人物と、きわめて近い血縁閑係にあるということを指摘しておけぱじゅうぶんでしよう。
ターザン そのとおりだ。
ファーマー あなたご自身やご家族の方々に見られる超人的とさえ言える驚くべき力についても、どうやら説明をつけることができました。ご存じのとおり、1795年にヨークシャー州ウォルド・ニュートンに落下した隕石の記念碑は、今でも現地に残っています。その隕石が落ちたとき、3台の馬車が近くを通りかかっていました。乗っていたのは第三代グレイストーク公爵とその夫人、ペンバリー館の裕福な紳士だったフィッツウィリアム・ダーシーと、その夫人で『高慢と偏見」の主人公のエリザベス・ベネット、シャーロック・ホームズの曾祖父母、その他数名です。夫人がたはみな妊娠していました。その全員が、隙石による放射線を浴びたわけです。隕石の落下に放射線がともなうことはご存じでしょう。その影響で突然変異が起きたのだと思われます。そうとでも考えないと、あなたご自身も含めて、この一行の子孫にいきなり遺伝的な優越性が表われたことの説明がつきませんからね。
ターザン その説明を全面的に信じようとは思わないが、筋は通っているな。わたしの頭蓋骨は厚さが普通の半分ほどしかない。それも突然変異の傍証になるだろう。それに呪術医に不死の処置を受ける前から、わたしの成長の仕方にはちょっと変わったところがあった。もちろん当時は、まわりとの比較などできなかったわけだが。18歳のとき、わたしの身長は6フィートあった。その後の3年間で3インチ伸びた。20歳になるまで髭を剃る必要はなかった。病気になったことも、虫歯になったこともない。きみの突然変異理論は当たっているかもしれないな。ところで、申し訳ないんだがそろそろインタビュウを打ち切らせてもらいたい。日記の写真を返していただけるかな。
ファーマー もう時間ですか。でも――
ターザン 何分経ったか、わたしは時計を見なくてもわかるんだ。さようなら。二度とお会いすることはないだろう。きみはしばらくこの部屋に残って、わたしを先に行かせてもらえるかね。もうチェックアウトを済ませているんで、すぐに出ていかなくてはならないんだ。
ファーマー これからどちらへ行かれるのか、おうかがいして構いませんか。
ターザン 致命的に見える事故に遭いに。どうしてわたしがこんなに若く見えるのか、不思議に思う人間が増えすぎたのでね。このインタビュウに応じたのも、すぐに姿を消すつもりだったからだ。これできみの本を読んでも、もうわたしの居所は探り当てられなくなる。だが10年間はわたしの身元を明かさないという約束は守ってもらうよ。これからはジェーンと二人、いろいろな国で、いろいろな名前で生活するつもりだ。ときにはジャングルにも戻ってみる。ガボンやイトゥリの熱帯雨林には、今でもわずかなピグミー族しかいない空白地帯がたくさん残っているんだ。熱帯雨林はいずれ消えてしまうかもしれないが、世界的な環境汚染は文明の崩壊をもたらし、人口を激減させるだろう。もしかすると森林は残って、今は絶滅の危機に瀕している多くの生物種が復権してくるかもしれない。どうなるにしても、わたしは生き延びるつもりだ。もしだめだったとしても、まあ人はいずれ死ぬわけだからな。その日が早まるのではないかという心配も、死人には無用のものだ。さっきも言ったように、150年も生きるころにはわたしも老いぼれているだろう。本が出たら、わたしの口座があるチューリヒの銀行宛てに送っておいてくれ。
そう言うとその人は部屋を出ていき、姿を消した――ファーマー氏はそう語っている。
Comment/コメント
バローズ・マニアで知られるフィリップ・ホセ・ファーマー氏による、架空のインタビュー記事。同じく架空の伝記である
"Tarzan Alive" の宣伝も兼ねた埋草的原稿だったのではないかと邪推している。ちょいと斜に構えたターザン読者や、そうした人たちの毒舌を生き抜いた熱狂的ファンに捧げるとでも言うべき内容もあって、さまざまな重箱の隅について取り上げ、釈明させている。
つまり屁理屈をこねているわけで、こうしたバカ話をできるのもファン冥利というもの。
さあ、堪能しましょう!