6.カルヴィ族
| わたしのからだを締め上げた鋭いツメは、しかし致命傷を与えるものではなかった。シプダールの役目は獲物を生きたまま捕らえて主人であるマハールのもとへ届けることであって、痛めつけ、殺すことではないということなのだろうか。一瞬凍りついた背筋は、無事を確信するとまた力を取り戻していた。 もうひとつ、この太古の巨竜は大きなミスを犯していた。獲物を捕らえるのに、その胴体だけを捕らえ、四肢を自由にしたことだ。それだけギラクを甘く見ているということなのだろうが、わたしは地底世界のギラクではなく、地上の人間なのだ。 先ほど手にした２本の槍は使い果たしていたが、もっと心強い武器が残っていた。ライフルだ。わたしはその武器を構えようとシプダールの力に対抗した。後ろから不自然な姿勢に捉えられたままでは銃を構えることさえ困難で苦労したが、やがて銃口の延長線上に狂える巨竜の頭部を捕らえた。 耳を貫く銃声の代償に、ライフルはわたしの腕からもぎ取られた。不自然な姿勢だったために反動を受け止め切れなかったのだ。唯一の武器を失って生きた心地のしなかったわたしの後ろから、数秒後、銃声に負けない轟音が響いてきた。シプダールの悲鳴だった。爬虫類の貧弱な脳に、わたしの撃った銃撃の効果がようやく届いたのだ。 一瞬緩んだ巨竜のツメを渾身の力でほどくと、わたしは自らを解放し、後ろを振り向かずに全力で駆け出した。 岩陰を見つけてその隙間にもぐりこんで一息ついたわたしの腕を引くものがあった。一瞬、しまったと思った。不意の攻撃を受け、逃げることに必死になったが、もともとここは四面楚歌の世界。ほっと油断できる場所などありはしなかったはずなのだ。からだの自由の利かない岩の隙間でここにいたった自分の軽はずみな行動を悔いかけたとき、腕を引くものが声を発した。 予備知識がなければとても人間のものとは思えぬ、少し甲高い、単音節の声。ペルシダー人のカルヴィ族の族長だった。 ほんの数十分前にはわたしを攻撃したその人物の表情は、驚くほど穏やかだった。わたしが命の恩人であることを理解しているのだろうかと、一瞬、期待した。 「甘いわね」 冷静な声が、その背後からわたしの意識を取り戻してくれた。 「早く立って、こちらにいらっしゃい。外は危険だわ」 カルヴィ族の男の後ろには槍を手にした〈美女サトコ〉がその穂先を男の背に向けて立っていた。さらに背後には、動かぬシプダールにカルヴィ族と思しきペルシダー人たちがむらがっている。並んで佇立する鉄モグラのハッチからは〈美貌のさとこ〉がめずらしく口をつぐんで、顔だけ出してこちらを伺っている。 「ほかのシプダールは？」 「銃声におびえたのか、すべて飛び去ったわ。二頭分の肉は残ったけれどね」 すると、わたしが戦った二頭はともに息を引き取ったわけだ。当面の敵がいなくなったことに、すこしほっとした。 同時に、わたしが二頭のシプダール相手に苦戦していた間にカルヴィ族を支配していた〈美女サトコ〉の抜け目のなさに感心しないわけにはいかない。 「この男はなぜここに？」 「わたくしはあなたと違って勇敢でもなければ力があるわけでもないのよ。ここペルシダーは使えるものは敵でも使って危険を減らさなければ生きていけないわ」 なるほど、多少は皮肉が入っているかもしれないが、サトコなりにわたしを認めてくれてもいるわけだ。 「ぼくにしたって蛮勇ではないつもりだ。それなりの勝算はあった」 しかし〈美女サトコ〉はわたしの話を最後まで聞かず、無言で背を向けて鉄モグラに向かった。やれやれとそのあとを追おうとしたわたしの前に立ちはだかったのはカルヴィ族の男だった。 背筋に緊張が走り、なれないファイティングポーズをとりかけたわたしに、男はライフルと片方の腕輪を差し出した。ライフルは武器、腕輪は権力の象徴のはず。あっけにとられるわたしに半ば無理やりそれらをつかませると、男は右のこぶしをその筋骨たくましい胸にあて、「ジャロック」といった。 ジャロックがペルシダー語で狼犬ハイエノドンをいうことに気づかなければ、それが男の名だということに連想は働かなかったかもしれない。その場に犬がいない以上、それはその男のあだ名ででもあるのだろう。武器を渡し、贈り物をし、名乗りを上げるというのは友好の証に違いない。わたしもとっさに自分の胸に手を当て、名を名乗った。 地上の発音はペルシダー人には少し難しかったようだが、何度か口ごもりながら、ようやく断片的に発音できるようになっていた。 「そうだ。ヒデだけでいい。ぼくはここではヒデだ」 わたしは、男の身なりに似合わぬ紳士的な態度に、好意を感じていた。「ジャロック」と呼びかけると、もらった腕輪をはめ、ライフルを左手に、右手はこの異世界の友人の背に回しながら、二人で鉄モグラに向けて歩き出した。 美女だけでは息が詰まる。わたしは男の友人を得たことに喜びを感じていた。 つづく |
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