ERB評論集 Criticsisms for ERB


児玉数夫「ターザン・ファンここにあり」

ツル・コミック社『冒険王ターザン 鉱山の対決』解説より

1972


 私はターザン・ファンです。
 でも“ターザン”映画を面白い、といったりすることを、なにかとても自分の教養の、または、威厳をそこなうように思う、そんな映画ファンもいるようです。
 でも、娯楽映画は、映画の中で、大きな存在価値をもつものです。そして、優れた娯楽映画こそ、本当の“映画”である、と、私は昔から確信してきました。

“ターザン”は、エドガー・ライス・バロウズという作者に創造されました。ジャングルを駆ける男、ライオンを素手で征服してしまう男、アフリカの百獣をしたがえる密林の王者ターザン――映画になったのは1918年。今から、54年も以前のことになリます。
サイレント(無声映画)から、トーキーヘそして、色彩、ワイド・スクリーン時代へと、その間、15人のターザン俳優を生んで、延々作られ続けてきました。
 こんなすばらしいヒーローは、ほかにいません。ターザンは、“映画”の魅力とともに、永遠の、銀幕のヒーローであるにちがいないのです。
 わが国では、“ターザン”は、小説としてではなく、「映画」と結びついて、親しまれ、愛されてきました。
 原作者の小説のターザンは、私たちが、「映画」で親しんだ夕一ザンと、実はちがいます。小説のターザンに、私達は、とまどってしまうのです。ターザンは、読物でなく、視覚で楽しみたいと願うのは、私ばかりでなく、ターザン・ファンすべての願望でしょう。
 しかし、映像は消えてしまいます。わがものとすることができません。その無理な願いをかなえてくれるものを、私は、発見しました。
 このコミック版のターザンです。コミックの本場、オリジナルのすばらしさ、ターザン映画のアクション・シーンを見るような展開、このシリーズをそろえれば、私たちターザン・ファンは、いつでもターザンと彼の世界に遊ぷことができるわけです。


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