ERB評論集 Criticsisms for ERB


江戸久作

『地底王国』とアミカス・プロ〜ホラーからSFへ

スティングレイDVD『地底王国』


■1914年、ニューヨークに生まれたマックス・J・ローゼンバーグは25歳の時に外国映画の配給をスタートさせた事でショウビズの世界に足を踏み入れる。ディストリビューターとしてのキャリアを重ねて行く中、1956年に初めて製作を手がけたのが、若者向けミュージカル『Rock Rock Rock!』。そしてその直後、ハマー・フイルムによるユニヴァーサル怪奇映画の再生産である『フランケンシュタインの逆襲』(1957)の共同製作を担当する。この作品の大ヒットにより、ハマー・フイルムはドラキュラやミイラ男などの人気キャラクターを次々に現代風怪奇映画に作り上げ一世を風靡していく。ローゼンバーグはハマー・ホラーの誕生に携わったキー・パーソンの一人と言っても過言ではないのだが、その後のハマー作品に関わることは無かった。
■そのローゼンバーグのプロデュース・デビュー作『Rock Rock Rock!』で脚本を担当したのがミルトン・サボツキー。ローゼンバーグと同じくニューヨーク出身のサボツキーは、第二次大戦中にアメリカ陸軍の通信隊で記録映画の製作や編集等を行い映画造りのノウハウを身につけていた。終戦後は、台頭してきたTVの世界に身をおき様々な番組の構成や制作を担当する。そんな中、ローゼンバーグと出会い二人は意気投合。そして恐怖映画『死霊の町』(1960)等を共同で作り上げた後、ニ人は英シェパートン・スタジオをベースに、アミカス・プロダクションを設立するのであった。
■本格的な設立以前に手がけていたリチャード・レスターの長編デビュー作『lt's Trad,Dad!』(1962)をはじめ、低予算の娯楽映画を製作する会社であったが、当時のハマーの隆盛を見てかプロダクションの方向性は、すぐにSF・ホラーにシフトする。その読みは当たり、列車に乗り合わせた人々の恐怖譚を綴ったオムニバス『テラー博士の恐怖』(1964)はスマッシュヒットとなった。また、BBCで放映され人気を博していたSFTVシリーズ『ドクター・フー』の映画版を2本製作。そして再びオムニバス・ホラーに挑んだ『残酷の沼』(1967)が世界的なヒットとなり、70年代初期には『怪奇!血のしたたる家』(1971)、『アサイラム・狂人病棟』『魔界からの招待状』(共に1972)、『墓場にて』『呪われた墓』(共に1973)と同傾向の作品を立て続けに送り出す。オムニバス・ホラーというジャンルは、もはやアミカスの代名詞と言ってもよかった。主演陣にはあ馴染のピーター・カッシングやクリストファー・リーらが名を連ねていたが、それはハマーとの競合という意味合いよりも、英国ホラーのイメージアップに大きな助力となっていたような気がする。
■しかし『エクソシスト』(1973)や『悪魔のいけにえ』(1974)といった、リアリティ重視の新世代作品の登場によって恐怖映画の概念が大きく揺らぎ始めるのと合わせて、ハマー・フイルムは迷走し、アミカスは非ホラーに活路を見出そうとした。それが「ターザン」で有名なE・R・バローズ原作によるSFアドベンチャーの世界だった。TVの人気者だったアメリ力の役者、ダグ・マクルーアを主演に迎え、バローズの「時に忘れられた世界」を映画化した『恐竜の島』がその第1弾だ。1975年の8月にアメリカで公開された『恐竜の島』は、SF秘境映画という側面の他に怪物VS人間という図式をはっきり持っていたがために、奇しくも2ケ月前に公開されメガヒットを飛ばしていた『ジョーズ』の余波にうまく乗った形で成功を収める。そしてアミカスが次に選んだ題材がバローズのもうひとつの代表作「地底世界ぺルシダー」であった。『恐竜の島』のアメリカ配給を担当したAIPが共同製作に加わった事で予算は増し、全編フルセットという大がかりな特撮映画『地底王国』となったのだ。それでも撮影期間は1976年の1月から3月の約2ヶ月間と超特急ではあった。ちなみにフィルム上にAIPの総帥サミュエル・Z・アーコフのクレジットが無いのは、基本的に本作はアミカス作品であって、あくまでAIPは北米での権利を持つ共同製作会社の位置づけだからである。なので一般的なデータとしてはアーコフは記述されないものの、アメリカ発信あるいは経由の情報にはアーコフは製作総指揮として記載されている。
■こうして完成した『地底王国』はサマー・シーズンに英・米そして日本で公開され好評を博した。特に日本ではその年の洋画興行成績第8位の『グリズリー』の地方併映作だった事もあり、かなりの成績を収めた。そしてアミカスは続くバローズ作品としてAIPと提携し『続・恐竜の島』を製作するが、その途中でプロダクションとしては消滅してしまい、『続・恐竜の島』はAIP作品として世に出ることになった。資金調達の苦労や製作費の高騰などアミカスの倒産には様々な理由があるが、やはり時代に迎合できなかったという要因が最大であうう。70年代半ばといえばハマーも完全に沈邦している時期であり、フレディ・フランシスの息子ケヴィンが設立したタイバーン・フィルムも『猫と血のしクイエム』(1973)や『ブラツデイ/ドクター・ローレンスの悲劇』(1974)、『娼婦と狼男』(1975)など数本のホラーを作っただけで消えていった頃だ。『タワーリングインフェルノ』や『ジョーズ』のヒットでハリウッドの娯楽映画が再び脚光を浴び、時代はローテクからハイテクヘ移行し始めていた。古き良き特撮テイストを売り物にしていたアミカスにとって、それは過去のものとなりつつあったのだうう。


note

大手からはDVD化されにくいマニアックな作品を、マニアの要求にこたえる形でDVD化しているスティングレイ社から発売された『地底王国』には、なんと解説も収録されていました。バローズ作品の、というよりは、当時の映画界の状況などの解説になっているのは、DVDという商品の性格上正しいのですが、それが新鮮で面白いです。

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