ツル・コミック社『冒険王ターザンNo.3 原始猿人の襲撃』解説より
1972
国をとわず,年令をとわず世界中の人々に愛された仮空のヒーローといえば,誰にでもまず007ことジェームズ・ボンドがあげられる。 007が初めて小説に登場したのが,1953年だから,彼は50年代の代表的ヒーローといえるだろう。彼ひとりのきっかけで,色色なヒーローが続出したのであり,これは60年代まで続く。つまり,このぐらいのヒーローひとりで20年間はもつということである。
ではボンド登場の20年前は,いったい誰だったのかというと,1939年にコミックで登場したスーパーマンことクラーク・ケントである。彼こそが1930年代の代表的ヒーローである。彼ひとりのきっかけて,色々なヒーローが続出したのであり,これもまた40年代までもったわけである。
さらにこのスーパーマンの20年前,ここにわがターザンがいる。 1913年生まれのターザンこそが,1910年代の代表的ヒーローであり,これもまた20年代までひきうけたのである。
ところで,ターザン,スーパーマン,007の3人,どこやらとてもにているような気がするのはボクだけではないだろう。このどこやらにているような気がする事こそが,彼らが誰にでも愛され,それどころか彼らの名前がもう普通名詞にもなってしまった,そもそもの原因なのである。彼らのちがいは,その時代,文化,風俗の衣にすぎないのである。
そこで,まず007の衣をはいでみよう。彼が諜報部員であるのは,50年代以降の現実の中では,なにやらそこに一番きびしい世界,戦いがありそうだからである。そこで,諜報部員ではない007を考えてみる。新聞記者だっていいじゃないか。スーパーマンでいいじゃないか。
そこで,スーパーマンの衣をはいでみる。マンガ的なSマークのタイツなんてじゃまだ。それに彼の怪力は,地球とは重力のちがう惑星生まれのためだから,これも地球的に考えなおしてみよう。地球でむりなく怪力が発揮できるのはどこだ。ジャングルじゃないか。野獣相手に素手で戦うことじゃないか。文明なんかくそくらえ。 Sマーク・タイツなんかくそくらえ。というわけで,これはターザンである。
結局は,ターザン,スーパーマン,007とは,それぞれの時代に,受けいる事にわずらわされず,敵を見つけては戦う,理想的な人間の姿にほかならない。そんな事ができないボクらのかわりに,それをやってくれる人々にすぎない。夢にすぎないのだ。
しかし,それだけではないのである。ターザンははだかである。文明の衣を何もつけてはいない。これは,当人の意志ではない。だから成長したターザンは,ボクらよりもおくれて文明を知ってゆく。そして一個の動物として,生きるためにのみ文明を観察してゆく。だから彼は,自分が生きられない文明に対して戦いをいどむのである。彼のはだかの戦いは,はだかだからこそ,夢だからこそ,ボクらの日常のそれにも,当てはまるのである。1970年代のターザンは,ここから生まれるはずなのだ。