ERB評論集 Criticsisms for ERB


鏡明

ボクはなぜとても強い人〈ヒーロー〉の活躍する〈ハシャギマワル〉物語に魅かれるんだろう。
SFもそういう話は大好きだなあ。――

「アメリカの夢とヒー口ー」
バローズその2

SF専門誌「奇想天外」1977年7月号連載エッセイ

Jul.1977


 エドガー・ライス・バローズはホレイシォ・アルジャーの小説の犠牲者であった、なぎと言うと、ちょっと問題になるだろうな。前にも触れたとおり、ホレイシォ・アルジャーは典型的なアメリカン・ドリームに基づいた作品を量産した作家だ。地道に努力し、常に正々堂々と働いていれば、必ずチャンスが訪ずれ、あなたは成功して大金持になれる、あるいは他人に尊敬されるだけの人間となることができるのだよ、ホレイシォ・アルジャーの小説というのは、このたった一つのことを言うためだけにあるといってもいい。アメリカという国が、こうした夢を可能にするかもしれないという希望を抱かせるに足る社会的な構造をもっていることは確かだが、それでも大部分の人間にとっては、それは大嘘でしかない。結局のところ、ホレイシォ・アルジャーの作品は、悲惨な状況にある人々がこうあって欲しいと願う夢の小説家であったのだ。
 例の「ロッキー」なんぞという映画を見るとつぐづく感じるのだが、アメリカにはこの手の夢がまだ生き続けているのだ。「アメリカは機会(チャンス)の国だし、「ロッキー」の中で常に語られているこの言葉は、そのままホレイシォ・アルジャーの作品のメイン・テーマなのだ。もっとも、盛りを遇ぎた四回戦ボーイである主人公を、白分の対戦相手に選ぶ黒人の世界チャンピオンは、この考え方を逆用しようとするわけだが、映画の全体を考えてみると、それはもう一度裏返しにされ、「アメリカはやっぱり機会(チャンス)の国なのだ」という結末を導き出すことになる。だから「ロッキー」という映画は、ホレイシォ・アルジャーのどうしようもないほど楽天的で単純なサクセス・ストーリーを現代的に味つけしたものというべきであり、スポーツ根性ものであつたり、男性の復権を示したものではない。細部、たとえば主人公やそれを取り巻く人々のキャラクター付けの面で、やや複雑化されているとは言え、根本的にはホレイシォ・アルジャーの作品とほとんど差がないことになる。そして百年近い時代の差があるにもがかわらず、「ロッキー」が馬鹿あたりしてしまうなどというのは、ホレイシォ・アルジャー的な世界観が、時代を超越して人々ををらえているということを示している。夢は常に夢であり、多くの人々をひきつけるのだということの一つの例だろう。
 作家となる前のエドガー・ライス・バローズは、まさにホレイシォ・アルジャー的な夢を追い求めることによって生きていた。彼の半生は、その夢を本気で追いかけたことの結果の積み重ねによって構築されていたのだ。つまり失敗と失意の連続ということになる。彼の経験した職葉を拳げれば、セールスマン、薬局店員、通信販売の代理店、兵士、カウボーイ、探鉱者、書記等々、その範囲はかなりのものになる。そしてそのすべては、おそらくほ存在するであろうチャンスを求めてなされたものなのだ。ただ一度のチャンスをうまくつがむことができるならぱ、成功者となることができる。だが、そんなうまい具合にいくわけがない。夢はあくまでも夢なのだ。バローズがどんなに働いたが、どんなに努力したか、そしてどんな結果を得ていたが、後にバローズはその当時のことを次のように書いている。
 「6年問というもの、休暇をとることもなく、私は働きづくめに働いた。労働時間の半分は頭痛に悩まされていた。必死に節約しても、私の収入は、ささやかな家族の支出をまかなうことはできなかった」
 バローズがジョン・カーターという名の男を創造する寸前には、バローズ一家は破滅の一歩手前にいた。食物を手に入れるために夫人の宝石や彼の時計すらも質に入れねばならなかったほどだという。なにしろ昼食はいつも3セントのクッキーだったってんだからね、立派なものだ。そんなにまでして苦労して必死に働いたのに、成功とはほど遠い状況に置かれていたのだから、バローズは生きていくことに絶望する、当然のことだな。本気でやれぱやるほど、失敗したときのダメージは大きい。ただバローズは、何もかもあきらめてしまおうとする前に、もう一度だけトライしてみたのだ、小説書きというやつを。
 ここまでのバローズの生き方をロマンチストの一言で片付けてしまうことは簡単だ。文句なく、バローズはロマンチストであった。それは人生の苦痛に対する十分な経験を得ている筈の37才の男が、「火星のプリンセス」などという作品を書くことができたという事実だけをとりあげてみても、よくわかるだろう。けれども、バローズだけがロマンチストであったのではなかった筈だ。ホレイシォ・アルジャーに代表されるアメリカの夢を信じ込んでいた人たちがいかに多かったことか。そこでは夢は夢であると同時に現実でもあったのだ。古き良き時代という言い方があるが、そいつは古き良き人々の時代だというべきなのだ。
 そうした人々の中に含み込まれるバローズには、絶望したところで、その絶望が直接的にアメリカの夢への憎悪に結びつけるほどの意識はなかった。さもなくば、彼は小説を書こうとなどせずに、社会改革家となってもしかるぺきだからだ。彼の絶望は純個人的な運命に対するものだったのだ。
 「私は貧乏を呪う。貧乏が名誉ある状態であるなどとパーテイで口にする人間を見ると、殴りとばしてやりたくなる。貧乏に気高いところなどあるものか、素適なところもあるものか。
 それはただ何もできないということなのだ。貧乏であるということだけで十分にひどい、だがその上希望もないとしたら――そいつを理解するには、自分で経験してみることしかない」
 バローズは貧乏についてこう言っている。
 これは経験について述べられているだけであり、その憎悪の強さにもかかわらず、拡がりをまったく持たない。社会というものに対する意識の欠如は、初期のバローズの作品にあっては顕著なものだった。たとえ火星であっても、金星であっても、アフリカであっても、バローズの主人公たちは、社会体制に目を向けることなく、個人的な戦いによって、個人的な勝利を得ることにとどまっている。それが一国の支配権を争う戦いであるにすぎない。もちろん、バローズに多くを要求するのは無理な注文だとも思うし、バローズの関心が個人の領域でとどまっていたことが彼の作家としての成功の遠因であったことは確実なのだが、そこにバローズの、そしてバローズの創り出した主人公たちの限界があるのも事実だろう。もっとも、バローズ以前の大衆小説ライターたちや、以後のライターたちの大部分が、個人と社会という点については、無関心であったし、考えようによっては、だからこそヒーローなんてものを書けたのだということなのかもしれない。ただバローズについて言っておくならば、そうした個人的な幸福の追及が、たとえばジョン・カーターとデジャー・ソリス、ターザンとジェーンというように、ひどく簡単に男と女を結ぴつけ、緒婚させてしまうような結果を生み、そのためにがえってストーリーそのものの展開に大きな制約を与えてしまうのだ。つまり、バローズのストーリーで最も大きな要素の一つであるラヴ・ロマンスは、主人公とその恋人を緒婚させてしまうことによって、その存在を拒否されてしまうことになる。これはバローズがシリーズを続けていく上で、常に制約として残り、ラヴ・ロマンスの当事者となるべき新たなキャラクターを次から次へと登場きせることを必要にする。バローズの作品が、多くて3巻、ときには1巻で、次からは同一のパターンを繰り返すことになる原因の一つだといっていい。
 話を戻す。
 バローズが「デジャー・ソリス、火星の王女」を書きはじめたのは、1911年の7月頃ということになっている。その頃、バローズは鉛筆けずり器の代理店をやっていた。このみじめな失敗に終ったトライは、商売人としてバローズか不適格であることをまたもや示すことになるのだが、このビジネス・マンとしての物の考え方は、最後までバローズには残っていた。バローズには、ロマンチストの面と現実家の面が共存しており、それは彼の生き方と作品の両方に現われている。「オール・ストーリー」のトマス・N・メトカルフに拒否された第2作「Outlaw of Torn」は、バローズが書き直した唯一の作品だが、彼はこの失敗作を何度となく買ってくれるように頼み込み、それでも駄目だと知ると、最後にはストリート&スミス社にも売り込みをかけた。作品の出来はともかく、とにかく売るのだというバローズの商売人としての考え方が良く出ている例だといっていい。
 けれどもこの作品がメトカルフによって突返されたことは、作家としての、ロマンチストとしてのバローズには衝撃だったのだろう、メトカルフが「Outlaw of Torn」を返送すると同時に、「火星の月の下で」の続篇を要求したのに対し、4カ月間も、メトカルフに返事を出さながった。そしてその間に「火星の月の下で」は「オール・ストーリー」に掲載され、空前のヒットとなったのだった。その当り方に驚いたメトカルフは、速載開始の2ヵ月後の1912年の4月にバローズに手紙を書き、どうして作品を送ってくれないのか、今は何を書いていのか教えてくれと頼み込んでいる。そしてバローズの久方ぶりの返信には、ジャングルを舞台にした作品のことが書かれていた。メトカルフは、すぐにそれを見せてくれるように手紙を書く。そして6月にその作品の原稿はメトカルフの手元に送りつけられた。「類猿人ターザン」がそれである。「類猿人ターザン」は1912年10月の「オール・ストーリー」に一挙掲載された。そして前作以上の凄まじい反響を呼んだのだった。現在、エドガー・ライス・バローズの名は、ジョン・カーターの生みの親ではなく、ターザンの生みの親として良く知られているといっていいだろう。もしも彼がその第一作としてターザンものを書いていたとしたら、彼の作家活動は著しく変ったものになっていたにちがいないと思う。それほどにターザンの第一作の評判は高かったのだ。そしてバローズは、この「類猿人ターザン」で自分のスタィルをほぼ確立することになる。それはストーリー展聞の上でも、中心となるキャラクターの設定についても同じことが言えるだろう。たとえば「火星の月の下で」におけるジョン・カーターはこのターザンとはもちろんのこと、第2作以降のジョン・カーターとも異なったキャラクターを持っているし、ストーリーの展開もまたターザン以降のものとは異なっている。
 「類猿人ターザン」のエンディングは、ターザンが、自分は猿の子であるといって、本当は自分のものである筈の地位も名誉も金も、恋人さえあきらめてしまうところで終っている。猿の子供というナンセンスをターザンが本当に信じてしまっていたとしても、読者はそうは思っていない。そんな馬鹿なことがあるものか、これではあまりにもターザンがかわいそうではないか、いったい続篇ではどうなるのか、読者からの反応はそうしたものが多かったという。この宙ぶらりんの状態に読者を置いてしまうエンディングは、以後のバローズの作品の一つの特徴になっている。はらはらさせられるまま放っておかれることがつらいのは、今も昔も同じだ。バローズは本能的に、このやり方が有効であることに気付いたのだろう、もしもバローズか天才であるとすれば、この方法を発見したことだろう。
 「類猿人ターザン」の成功に、メトカルフはすぐ続編を書いて欲しいと、バローズに要請する。けれどもバローズの返事はこうだった。ターザンの続編をうまく書けるかどうか自信がない、そのかわりに、火星シリーズの第2作がほとんど完成しかかっている。
 このあたりのバローズとメトカルフのやりとりは、ひどくちぐはぐで面白い。お互いにお互いを必要としながら、少しずつずれている。1912年の10月に送られてきた火星シリーズの第2作「火星の女神」は、その年の4月にメトカルフが書いて送ったヒントをもとにして書かれていた。「オール・ストーリー」はこの作品を1913年の1月から連載することに決定した。メトカルフはまた、ターザンの第2作についても、幾つかのアイディアをバローズに書き送っている。
 けれども、1913年の1月に送られてきたターザンの第2作の原稿を読んだメトカルフは、それを没にしてしまったのだ。「Ape Man」とタイトルがつけられたこの作品は、バランスが狂っている、というのがメトカルフの評価だった。それは「Outlaw of Torn」のとき以上のショックをバローズに与えた。メトカルフからは続いて、がっかりしないようにという手紙がやってきたが、没にされたという事実は変らなかった。そしてバローズは、このターザンの第2作を「The New Story Magazine」に売り込んでしまったのだ。1913年の2月のことだ。
 「The New Story Magazine」は当時必死に売れ行きを伸ばそうとしていたところでもあり、そこへ競争相手のドル箱の続編がやってきたのだ、大喜びで買うことに決めたのだった。その噂は、メトカルフの耳にも入り、彼は狼狽し、すぐさまバローズに手紙を書いた。バローズのやったことは信じられないことであり、それはとうてい友人のやることではない。バローズはその作品を書きなおし、自分のもとに送ることによって、以前のような友情関係を取り戻すべきだ、メトカルフはそう言ってバローズをなじった。
 ここで凄まじかったのはバローズの反応だ。自分は友情のために小説を書いているのではない、妻と三人の子供のためなのだ。友情というが「Outlaw of Torn」を書いてくれと頼んでおきながら、それを没にし、ターザンの続編を書いてくれといいながら、またそれを没にする。そんな友情があるのか! とまあ、こんな具合だ。
 この争いは結局、メトカルフが折れて出ることによって、一応納まった。「Ape Man」が「The New Story Magazine」に載ることも認め、これからは稿料を二倍にする、メトカルフは金でバローズをなだめようとした。そしてバローズはその条件を受け人れた。1913年中だけに適用されるという条件をつけて。
 ここでは作家と編集者の立場が完全に逆転してしまっている。バローズの強気一本のやり方が、時には、いやになるほどにはっきりと出ている。たぶんバローズという人問は、ぼくの最も嫌いなタイブの奴なんじゃないかとさえ、思えるのだ。

(以下次号)


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