ERB評論集 Criticsisms for ERB


外国マンガ評論家 小野耕世
「冒険王は、帰ってきた!<ターザンの新しいイメージ〉」

ツル・コミック社『帰ってきたターザン』解説より

1972


 ターザンが、帰ってきた。
 このことを、私は、特別の意味をこめて言いたい。なぜなら、私たちが、これまで、ターザンについていだいていたイメージは、原作者であるエドガー・ライス・バロウズの描いた、本来のターザン像とは、かなりちがっていたからである。
 では、われわれにとって、ターザンとは、なんだったのか?
 まず、日本人にとって、ターザンとは、映画のターザンだったと思う。事実、バロウズが、最初のターザン物語「類人猿ターザン」を発表したのは、1914年だが、それは、4年後の1918年に、早くも映画化されている。戦後も、さまざまなターザン映画が公開され、当時の子どもたちにとって、ターザン映画とは、冒険活劇映画の代名詞といってもよかった。しかし、映画のターザンは、原作とは大いにちがっていた。実際のターザンは、英語はもちろん、フランス語も、ドイツ語も話す、語学の天才だが、スクリーンのターザンは、やっと、たどたどしく、カタコトの英語を話すにすぎなかった。
 では、マンガのターザンは、どうだったのだろうか?
 日本における、ターザンのマンガは、今はなき天才マンガ家・横井福次郎氏によって、昭和21年に描かれ、ターザン三部作として発表された。
 それは、すばらしい、ある意味では、原作よりも優れた、夢にあふれたターザンだった。私は、横井氏のターザンが、今でも大好きだが、それは、原作とちがっている、というよりも、原作とはまったく関係ない、横井氏独自のターザンだった。
 つまり、映画とマンガの両方を通じて、われわれは、原作とはかけ離れたターザンに、長いあいだ親しんできたのだった。
 では、アメリカにおけるターザンのマンガは、どうだったのか?
 ターザンが、はじめて新聞連載のマンガになったのは、映画よりもずっと遅れた1921年で、ハロルド・フォスターというマンガ家が担当したのだった。
 これは、原作の「類人猿ターザン」を、文字どうり、原作に忠実に、絵物語化したものだった。これは、今でも、ターザン・コミックスの古典として、評価されている。すばらしい絵だ。
 1936年、ターザン・コミックスは、バーン・ホガースというマンガ家にひきつがれ、マンガ史上、最も力強い、ダイナミックなターザンが生まれた。これも、古典的な名作となった。
 そして、現在、〈冒険王・夕一ザン〉の新聞マンガは、ラス・マニングによって、描かれている。
 1967年に、ターザン・コミックスを描く契約を緒ぶとき、バロウズの会社は、ひとつの条件を出した――なるべく、原作に忠実に描いてくれ、というのである。
 それ以来、マニングは、新聞の毎日の連載と、日曜版の両方に、原作のイメージを守りながら、ターザンのマンガを描きつづけてきたのだった。
 冒険王は、、帰ってきた!
 当代一のターザンまんが家、ラス・マニングの、ダイナミックで、しかも繊細な描写によって、ターザンは、原作どうりの、新しいイメージをもって、日本にやってきたことになるのだ。………


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