ツル・コミック社『冒険王ターザンNo.4 謎の水中人間』解説より
1972
ターザンは、私にとって、子どものころの最高の英雄だった。もちろん、映画のターザンだ。といっても、初代のターザン役者、エルモ・リンカンの無声映画を見ているほど、私は年よリではない。無声連続映画の最後のターザンである五代目フランク・メリルは見ているが、それは1930年の制作よリだいぷあとに、六代目ワイズミュラーの大当リにあやかろうと、1本に編集しなおして公開したサウンド版で、題もメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに遠慮したのか、「猛虎タルザン」となっていた。つまり、もっぱらメトロ映画のジョニイ・ワイズミュラーに、夢中になっていたわけだ。
エドガー・ライス・バロウズの原作小説が最初に雑誌にのったのが1912年。はじめて映画になったのが、1918年。私が生れた1929年には、ハロルド・フォスターの絵で、はじめて新聞のコミック・ストリップになっている。当時、博文館文庫という大衆小説のペイパーバックがあって、それに「猿人ターザン」という題で、パロウズの第1作が翻訳されていたのを読んだから、原作があるのは知っていたが、コミックのことは知らなかった。私には小説よりも、映画のほうがおもしろくて、それもワイズミュラーでなければならなかった。八代目のハーマン・ブリックスも、九代目のグレン・モリスも、にせものときめこんで見なかったほどで、ジェーン役のモーリン・オサリヴァンは、私の初恋の女優だった。いまの子どもたちが仮面ライダーごっこをするように、ターザンのまねをして遊んだもので、幼友だちのなかにひとリ、エイプコールの名人がいた。彼がターザンの叫びをまねると、近所じゅうの犬が十数匹あつまってきたほどで、小学校の先生よりも偉くみえたものだ。あのエイプコールは、MGMの効果部が合成したもので、ワイズミュラーがRKOに移ってからは、聞くことがてきなくなった。戦後
、それが聞けなくなると、私の熱もさめてきて、十代目のレックス・パーカーになってからは、たまにしか見なくなった。それでも、映画に義理立てして、博文館文庫を最初の最後に、残リの原作はいまだに読んでいない。
そのかわり、ターザン映画に関する本や、古いターザン・コミックスの復刻は、買いあつめている。フォスターのあと、コミックスはレックス・マクスン、バーン・ホウガース、ボブ・ラパス、ジョン・セラードなどが書いているけれど、もっとも高く評価されるホウガースの傑作集が、フランスで豪華本になっている。ターザンが生れて、今年でちょうど60年、いまだに日本でまで、原作小説が翻訳され、コミックスが出版されるとは、なんという息の長さだろう。