ハヤカワ文庫SFリン・カーター著 緑の太陽シリーズ「緑の星の下で」解説より
バロウズの小説を何冊か翻訳してかねがね感じていた疑問――素朴な──は、なぜこれだけ同一パターンの作品がもてはやされてきたのかということだった。善(英雄的主人公)と悪と美女をかみあわせてくりひろげられるスリルにみちた物語。アドベンチャー・ストーリイではおおむね、善と悪と美女の三つが基本的要素だが、さらに重要なのはこうした登場人物たちが活躍する舞台となる背景と、ちょっとした小道具(アイディア)と、そしていうまでもなくストイリイテリングの巧みさであろう。これにはむろん、人並すぐれた空想力もくわえられる。
バロウズはどうやら、このすべてについて他の追随を許さぬだけの才能をもっていたようだ。だからバロウズの諸作品は同工異曲のパターンでありながら、卓抜なアイデア(たとえば、太古世界シリーズにおける、ながい人類の発展段階を一個人が七つの段階をへて一生のあいだに体験するといった)をとり入れた、奔流のようなストーリイの展開で読者をあわせない一級の冒険小説にしあがっているのだといえよう。
読者の側からすれば、おやまたかと思いながらも、読みはじめるとやめられなくなり、読みおわるとつぎの本をとりあげたくなるという按配である。バロウズの大多数の読者は小むずかしい理屈だの、思想だのは要求しない(一部の人には失礼ないいかたかもしれないが)。美女がどんな悪漢につかまるか、主人公はどうやって彼女を救出するか、どんな怪物があらわれるか、主人公はこれをどう退治するかといった場面の展開に胸をはずませながら、読者は頁を追っていく。
さて、本書であるが、これは〈レムリアン・サーガ〉の三冊についで本文庫におさめられる四冊めのリン・カーターの作品(〈緑の太陽シリーズ〉の第一巻)で、かれの長篇としては三十冊めにあたるとのこと。"Under
the Green Star"という題名はいうまで心なく、バロウズの処女作、"Under the Moons of Mars"に呼応するものである。
バロウズを敬愛するリン・カーターは、本書を、かれのことばをかりれば、バロウズあての恋文として書いた。これはいいかえると、ひとつの挑戦とも受けとれよう。バロウズの代表的な一連の作品〈火星シリーズ〉に挑戦するからには、並々ならぬ意気込みと、自信がなくてはならない。リン・カーターにはそれがあったようだ。そして、このきっかけとなっだのが、主人公の異星への伝達方法である。読者にはすでにご案内のとおり、リン・カーターは、これをきわめて見事にやってのけた。
あとは、善と悪と美女のからみあいである。霊体となって緑の太陽の惑星へ到達した主人公が伝説上の英雄コーンの肉体に宿り、美姫ニアムーとその統治するパオロンを、悪玉アルドゥーアのアクーミムから守る、といった、ま、お定まりのパターンを踏んでストーリーは展開されるわけである。リン・カーターの構築した舞台背景がエメラルド色のもやにけぶる巨木の生い茂ったゆたかな、きわめてカラフルな妖精の国を思わせる世界であるのも実に楽しい。バロウズのおおまかな表現、したがってスピードのある文体にくらべて、形容詞、副詞、比喩的表現を多用した文体は各場面をよりこまかく、より具体的に描写し、リアルで迫真力がある。
主人公の英雄コーンは、裏切り者スリゴンの凶刃にたおれ、〃わたし″の霊は地球の自分の肉体にもどってくる。美女ニアムーは問一髪、女狩人シオナから逃れ、ザイプーにまたがって飛びたつが、はたして彼女の運命やいかに、あとは次作のおたのしみ、とあいなるわけである。この『緑の太陽の下で』を第一巻とする〈緑の太陽シリーズ〉がリン・カーターの代表的なシリーズとなりうるか、ひいてはバロウスの〈火星シリーズ〉にも比肩しうるものとなるか、それは読者諸賢の判断にゆだねられるところである。
最後にいろいろお世話になった倉橋編集長ならびに今岡さんに心から謝意を表します。
〈緑の太陽シリーズ〉作品リスト
コメント
バローズ・タイプと呼ばれる作品群の中では比較的評価の高いシリーズの、解説。全5作中、3冊で邦訳はストップしており、解説らしい解説となると、この第1巻しかない。
まあ、邦訳はあるし、ヤフオクなどで丁寧に探せば購入できると思うので、読まれてはいかがかと思う。