SF同人誌『宇宙塵』No.117
Nov.20 1967
日本にはじめてバローズが紹介されたのがいつごろかは、はっきりしない。バローズと並んで秘境冒険小説の作者として知られるH・R・ハッガードは、菊地幽芳らによって明治末年に翻訳されているので、恐らくバローズもかなり以前に紹介されていたと思われる。私の知っている最古のバローズ翻訳は、大正末期の「火星シリーズ」だが、これはどんなものだったのか資料がないので判然としない。
エドガー・ライス・バローズは、「火星シリーズ」「ターザンシリーズ」「金星シリーズ」「ペルシダーシリーズ」等の多くの作品群を書いているが、戦前の日本においては、ターザンの作者としてのみ知られていた。その理由は、やはりターザン映画が多数日本で公開された為だろう。一九一八年製作の「ターザン」 (主演エルモ・リンカン、原題「類人猿ターザン」「ターザンのロマンス」)以後、日本では約四十本のターザン映画が公開された。先日、テレビでエルモ・リンカンの初代ターザンを見たが、まるで山男のインディアンか原始人の様で木から木へ飛び移る現代的ターザンとは少々印象が違っていた。それはともかく、日本でもターザン映画は非常に好評で、バローズと言えばターザンとしか考えられなくなった。日本初公開は大正七・八年ごろである。
ターザン映画が評判になったのだから、さぞかしターザン小説も数多く翻訳出版されただろうと思えるが、現実には戦前の日本ではターザンの本はほとんど出版されなかった。理由は、いくつか考えられるが、本当の所はどうだったのか……「人猿タアザン」などの題で数種発行されたのみで、私の知る限りターザン全集の様なものは無かった。
太平洋戦争が終わると、ターザンは急に盛んになった。バローズ作品でない和製ターザンも多数出現した。特に、一部マンガ家の中にはターザン漫画を書く者が現われ、多数の作品が出版されたり雑誌に掲載されたりした。
「ふしぎな国のプッチャー」で知られる横井福次郎なども、ターザンのマンガを書いているし、他に和田義三の「少年ターザン」や手塚治虫の「ターザンの秘密基地」「ターザンの王城」等の作品もある。これらは、いずれもターザンというキャラクターだけを用いたオリジナルである。
翻訳では昭和二十七年にエドガー・バロウ原作の絵物語ターザンが少年クラブに連載された。そして昭和二十九年からは小山書店でターザンシリーズが発行されはじめた。この「ターザン物語」は二巻までは出版されたが、それ以後は中絶したらしい。小山書店倒産のためである。西条八十訳で「出生の巻」「帰郷の巻」が出、好評だった様だ。(あるいは三巻まで出たかもしれないが、私は二巻までしか持っていない。)同時に、講談杜の少年少女向「世界名作全集」も「ターザン物語」を刊行しはじめた。塩谷太郎訳で、これは三冊まで出た。その後の各種の子供向文学全集には時々ターザンが入る様になった。
昭和二十九年の夏からは新日本放送・ラジオ東京(KRラジオ、今のTBS)からラジオ放送劇「ターザン」が放送を開始した。その計画の推進者の一人、野上彰によって翌年には宝文館「ターザン文庫」の刊行が開始された。しかし、この「ターザン文庫」全六巻も全部は刊行されなかった。私が読んだのは(と言ってもそれは小学生の時なので良く覚えていないが)第二巻の「ターザンと外人部隊」までなので、それ以降、どこまで発行されたのか怪しい。なお、第一巻の邦題は「ターザンと密林の叫び」である。
以上のいずれも、計画が完成しなかったのは大変残念だったが、昭和三十六年になるとようやく全巻を出版したターザンシリーズが現われた。実業之日本社版、野上彰訳「ターザン物語」全六巻がそれである。この野上という人は、よほどターザンが気にいったと見える。値段が高かった為か余り売れなかったらしいが、それでも小学校の図書館などで広く読まれた。
バローズと直接関係ないが、ターザンの影響によって書かれた物語類もある。最近リバイバル発売された南洋一郎の「新・ターザン物語」なども、その一つである。ストーリーはターザンに似ているが直接関係はなく、夕−ザン的主人公が活躍する冒険小説である。さらに、紙芝居から転向した山川惣治の一連の冒険絵物語は無視できない。「少年王者」 (後に白土三平によって再マンガ化された)「少年サンバ」「少年エース」「少年バブーン」など、いずれもターザン的冒険絵物語であるが、特に最初の「少年王者」はゴリラに育てられた子供が王者となって活躍するという、全くターザンそっくりの設定で、翻案とさえ言える。なお、山川惣治は現在月二回刊の冒険絵物語雑誌「ワイルド」を主宰している。
昭和三十年代の終りとなると、バローズはようやくSFの側から注目されはじめた。アメリカSF研究家の野田宏一郎氏らの紹介によって、これまで「ターザン」という一面しか知られていなかったバローズのSF作家としての再評価が始まった。そして昭和四十年(一九六五)十月からは東京創元新社によっていよいよ火星シリーズが発行されはじめた。創元社版火星シリーズは、SFファンのみならず一般読者の間に大きな反響を呼び、SFにしては珍しいほどに良く売れ、版を重ねた。同シリーズは全十一巻のうち、既に七巻を刊行し、近いうちに完結すると思われる。
さらに、驚くほどのグッド・タイミングで、四十一年十月から、TVでターザン映画の放映が開始された。NETテレビから昔の劇場用フィルムがそのまま放送されたのだが、それが驚くほどの高い視聴率を示し(ここで日本に一種のバローズブームに近いものがおこった。さらに、「火星シリーズ」が呼び水となって日本にスペース・オペラのブームも到来した。「レンズマン」「スカイラーク」「キャプテン・フューチャー」等のスペース・オペラSFの中にあってバローズの他のシリーズも続々紹介さればじめた。
東京創元新社「火星シリーズ」「金星シリーズ」、早川書房「ペルシダーシリーズ」、講談社「ターザンシリーズ」、「火星シリーズ」、秋田書店「ターザンシリーズ」、角川書店「火星シリーズ」
これが、現在シリーズの形で刊行されているバローズの作品である。一人の作家の作品が、わずか一、二年の間にこれほど訳された例はかって無いだろう。この他にも、バローズ作品は数社から、単発で発売されている。
「ターザン、許さない」「ターザン、○○する、良くない」等は流行語にさえなった。この現象は、バローズという作家が五十年以上もほとんど日本では省みられていなかっただけに、なおさら驚異である。
「火星シリーズ」などの読者には中高生が非常に多かった。一般に、SFには最近青少年読者が多いものだが、「火星シリーズ」などには特にそれがはなはだしかった。そして、その大半は「SFファン」ではないのである。バローズ作品は単純な娯楽小説で、わかりやすいため、SFにはとっつきにくい層の読者にも喜んで読まれた為だろうが、今後の日本のSFの進路を考える場合、これは大きな間題であろう。
私自身はバローズの作品を好きではないが、これだけは言える。それは、SFファンでない人にも良く読まれるSFが、SFの普及に果たす役割は非常に大きい、という事である。ただし、SFの普及が、どの様な形で行なわれるのが、本当に有効であり有益であるかという事には、いろいろこれから議論していかなければならぬ問題が含まれているのだろうが。
comment
日本の出版界におけるバローズブームを、同時代の日本のSF運動の先頭にいた同人誌『宇宙塵』の同人である島本光昭氏が書いたものになる。島本氏は古典SFの研究者らしく、比較的古い出版事情に精通した方のようで、大正時代に火星シリーズが翻訳されていたことを記していて、そのため弊サイトで紹介済みの雑誌『中學生』記載の火星シリーズを様々な方が紹介される際には引用されていた。というわけで取り寄せてみたのだけれども…
大正時代の火星シリーズはどんなものだったかわからない、となっているのでちょっとがっかり。ターザン物中心に紹介解説してある内容はある程度参考になるが、当時のSF最先端の方々のエリート意識、というと語弊があるが、バローズ・ファンはSFファンではないとか、バローズの作品は好きではないとか、SFの普及のためにはよろしくない、といったことまで言い出されると、ちょっと眉をひそめてしまう。
まあSFが誤解を受けて下層に見られていることを忸怩たる思いで、ハイソな作品を紹介して認めてもらおうとしていた勢力の方々にとっては、読者に考えさせない娯楽作品は困った存在だったというのはわからなくもないが…