エッセイ Essey for ERB's world


武部本一郎の世界

Fantastic illustration world of Motoichiro Takebe

by Hide

'96.Nov.17


 日本においてこれほどまでにバローズという作家が受け入れられた、その要因のひとつには、武部本一郎という画家の存在があったことを忘れてはならない。むろん、バローズ自身の魅力が一番ではあるのである。だが、残念なことにそれは読んでみなければわからないことだ。近年のベストセラーを見てもわかるとおり、売れる背景にはネーミングや表紙のセンスがまず人の目を引くことが第一なのである。そして、武部画伯の絵は十分以上、その任を果たした。その流麗な筆致は書店で目にした者がつい手に取らずに入られない、とんでもない魔力を持っていたのだ。
 かつて文庫本といえば、最近まで(といっても10年はたつか)岩波文庫がそうであったように、パラフィン紙に包まれた、名作を保管しておくための縮小本のイメージが強かった。事実、古い文庫は各社ともこのスタイルで、創元推理文庫もご多分に漏れず、ミステリの古いものは古書店の片隅に岩波や新潮に混ざって並んでいるものを見ることがある。それが当たり前だった時代に、フルカラーの写実的かつ耽美的な美女画を表紙に、カラー口絵、十数枚に及ぶ挿し絵をも織り込んだ文字通り大人の絵本として「火星のプリンセス」は出版されたわけで、書店を訪れた人々の目を引き、手を伸ばさせたであろうことは想像に難くない。
 これは、単に1冊の本の売れ行きをのばしただけではなかった。大げさにいえばその後の出版界に革命をもたらしたと言っていい。単行本の出版形態の提案がおこなわれたのだから、大げさともいえないだろう。カラーの表紙絵、カラーの口絵、挿画。このスタイルは他の出版社にも取り入れられ、ついにパラフィン紙がけの文庫本など見かけることもなくなった。口絵や挿画は減ってきてはいるが、年少向けの本やエンターテインメント性の高い本はいまだにこのスタイルだし、各社とも表紙イラストレータの選出にはかなり慎重になった。そして、なによりも大きかったのはハヤカワ文庫を創刊させたことだ。冗談ではなく、創元推理文庫の、と言うよりは「火星のプリンセス」の成功がなければ日本の出版界は違った様相を見せていたに違いないし、なによりもこんなにもバローズが訳されることはなかったかもしれない。創元推理文庫のないアメリカに文庫文化が花開かなかったのは、実は武部本一郎の仕事がなしたことだったわけだ。そう考えると愉快になってくる。
 一見乱暴な筆の運びだが、確かなデッサンに裏打ちされた繊細な描と、独特の配色は、加藤直之を筆頭とする後継者に受け継がれている。だが、それを再現したものはいない。彼の死は、日本SF界にとっての一大損失でもあった。
 SFといえば真鍋博や、前衛的なイラストが表紙を飾っていた時代に、武部本一郎の絵は新鮮だったはずだ。写実的だが個性的で、メカを描かせても決して時代遅れのものにはしない、その感性と画力は、何よりもバローズとよくマッチした。女性はあくまで美しく、肉感的でさえあり、男はポーカーフェースで野獣的ではなく、人間的にたくましい。ごついというより、強そう。まさに、ERBのヒーロー、ヒロインがそこにはいた!
 その武部氏が亡くなって15年くらいになるだろうか。幸いにもバローズの紹介はほぼ終わっていたとはいうものの、ターザンをまだ数冊残しての退場は、ファンとしてはまだ早いという思いがあった。ERB+武部本一郎は「密林の謎の王国」が最後になった。入院を繰り返した頃の仕事のはずだが、かなり精緻なかき込みがある。月シリーズのイラストには一部デッサンの狂いもあって、残念な部分もあるが、最後の作品は、まさに入魂だった、ということなのだろう。
 後継者としては、加藤直之氏が衆目の一致するところではあるが、やはりちょっと違う。妙にバタ臭いのだ。武部氏描くところのデジャー・ソリスの、あのちょっと東洋的な憂いを含んだ表情は、おそらくは誰にもかけない世界なのだと、納得するしかない。
 もはやバローズの新訳を日本で読める日が来るのかどうかも怪しいが、武部氏は日本人なのだから、もう少し評価されてもいいのではないか。これだけ回転の速い時代では、無理なのかな……。

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