Mar.30,1997
アジテーターという表現が穏やかではないというなら、紹介者といってもいい。日本におけるバローズ紹介を振り返ってみると、このふたりの影響が大きかったことを感じずにはおれない、ということだ。現実に文庫解説でも、このふたりのものは多い。森優氏も多いが、これは当時の早川書房の編集長として、特別版SFと銘打ったターザン・シリーズの解説を担当したことによるので、ちょっと違うだろう。内容的にも受け売りが多いということもある(その出典の多くが読めなかったり、ターザン以外に焦点を合わせたものが多い事情から、資料的価値は低くはないが)。
紹介に果たした役割で言えば、きっかけとしては野田昌宏、作品紹介は厚木淳といったところになるのだろうか。それぞれ、『SF英雄群像』、創元推理文庫の翻訳を代表的な仕事としてあげることはできるだろう。
紹介者としての資質でいえば、(ERB云々はおいておいても)野田昌宏にまさる人はそうはいない。独特の文体に、思い入れをたっぷり乗せて、「どうだ、おもしろいだろう!」とたたみかけてくるあの迫力は、ついはまってしまう心地よさがある。SFという、本来マニアックな世界では特に支持を受けやすいタイプだろう。結果として、ERBではなくハミルトンの諸作が次々とリバイバルされているのは野田氏が直接の紹介者(翻訳者)であるという点に負うところが大きいのではないかと思う。読者は〈キャプテン・フューチャー〉を、というよりは野田節をもとめてハミルトンを買うのではないか。現実の作品の魅力でいえば、ハミルトンはERBの足元にも及ぶものではない。〈キャプテン・フューチャー〉もドタバタ的なおもしろさはあるが、世界観的にも狭いし、アイデア面でも同工異曲の繰り返しが目につく。少なくとも後世に語り継がれる作品群かと問われれば首をかしげざるを得ない。そのあたり、いまなお10指に余るHPに支えられるERBとは読者に与える浸透力が根本的に違うといっても言い過ぎではあるまい。ハミルトン・ファンは気を悪くしたかもしれないが、わたしは決
して〈キャプテン・フューチャー〉がつまらないといっているわけではない。そのおもしろさが一過性のものかどうかという種類の違いを述べているだけなのだ。
話を戻すと、その野田氏が名著『SF英雄群像』でERBを紹介したことがERBの名を一躍知らしめたという事実は否定しきれないものがあるとして、ただ氏はERBファンであったことは間違いないはずだが、決して心酔者ではなかったようだ。ハミルトンにも心酔はしていなかったと思う。野田氏は、1作家のファンと言う以上にSFファンだった、ということなのかもしれない。そう考えてみれば、ハミルトンはSF史の中にその足跡を残しているが、ERBはSFに対する影響力という点ではハミルトンなど比較の対象ですらないほどの巨人であることは間違いないが、その位置はむしろSF前史にあり、歴史上での紹介はともかく、作品を系統的に紹介しようなどとは考えなかったのではあるまいか。野田氏は、その文体からは一見心酔型のようだが、実はかなりクールなファンなのである。氏が、主に早川書房の書き手であったという事情もあるのかもしれないが。
さて、その野田氏は『SF英雄群像』でERBを紹介したことがERBをスペースオペラ作家の範疇に入れさせる原因となったと述懐しているが、わたしの考えは異なる。ERBの諸作をスペースオペラとした責任の大半は、東京創元社、なかんずく厚木淳氏にある、と思うのだ。
1960年代、戦後アメリカSFの名作を次々に刊行していた早川書房に対抗して、というか異なったカラーを持つ叢書として発刊された創元推理文庫のSF部門(現在の創元SF文庫)は、ターゲットを戦前の、娯楽性の高いエンターテインメントSFに求めた。結果として紹介されたのがERBの諸作(なかでも〈火星シリーズ〉と〈金星シリーズ〉)であり、E・E・“ドック”・スミスのスカイラークやレンズマンであったわけだ。そして、その統一されたキャッチフレーズがスペース・オペラだった。SF史に詳しい野田氏などには用語の誤用にも思われたかもしれないが、日本におけるスペース・オペラは言葉の定義としてはアメリカで用いられているものとは異なっていたというだけのことだ。異なる文化歴史を持った国である以上、当然のことだろう。日本語の中においたときの感覚として、「スペース・オペラ」という単語はその当時、魅力的な(未来的、SF的な)ものとして採用されたものと思われる。アシモフの「銀河帝国の興亡」も厚木氏にかかってはスペース・オペラなのだ。これは今となっては笑い話かもしれないが、それは野田的(早川的)視点が一般に広まった結果だからであ
り、当時はそれでよかったのだと思う。
そのあたりの事情は、〈火星シリーズ〉の厚木氏の解説に詳しい。また、思い入れを乗せた優れた紹介者という点でも、この場合の厚木氏は野田氏に決して劣るものではない。『火星のプリンセス』のあとがきを読んで本編を読みたくならない読者がいただろうか? 武部本一郎氏の功績が大であることは再三述べてはいるが、厚木氏の存在も決して無視はできないのである。悲しいかな厚木氏は東京創元社の編集者であり、同社はSF雑誌を持たなかったので、その仕事の範囲はもっぱら翻訳とその解説に限定されたということはある。その点が、現役のアジテーターである野田氏との大きな違いなのだろう。
そう、厚木氏は東京創元社の編集者だった。ただ、その仕事ぶりは本当に編集者か? と思えるほどに思い入れに満ちている。それも、SFとかミステリとかいった一般的なジャンルにではなく、作家や作品に入れ込むタイプの熱狂的な崇拝者になるタイプなのだ。それで編集者がつとまるのか? と思われるが、日本に海外エンターテインメントを紹介する黎明期をかたちづくる上では欠かせない人材であったということも事実だろう。その守備範囲は広く、多様なジャンルに及んでおり、感心するほどだ。翻訳者として(日本語の文章を書くものとして)はもう少しこなれてほしいという意見も存在するだろうが、それでも引き込んで読ませる迫力が、氏の文章にはある。
総じていえば、ERBの紹介者として、このふたりは最適の取り合わせだった。まず野田昌宏。翻訳と作品紹介は厚木淳。ERBといえば崇拝心頭的なファンがつくことで知られる。厚木氏以上に適した紹介者がいるか? 野田昌宏ほど(SFファンという狭い世界に限定した場合)ポピュラリティを持った紹介者がいるか?
ERBは、本当に幸運な紹介のされ方をしたもんだなあと、あらためておもうわけだ。ざっと、10年くらい前までは。
end