7 Sep.1998
バローズというと創元推理文庫の感が強いが、それもこれも同叢書の編集長でもあった厚木淳氏が私情をたっぷりはさんで(〈ターザン・シリーズ〉以外の)全作品翻訳紹介という暴挙(!?)にでたことが大きいと思う。バローズのような熱狂的ファンがつくタイプの作品の翻訳者として、入れ込んで訳すタイプの厚木氏が適していた、という事情もあって、バローズ・ファンにとって厚木淳の名は一種特別な響きを持つ。だが――しかし。日本におけるバローズを語る際にもう一方のSF出版の雄である早川書房の存在を避けて通ることはできない。厚木氏が手をつけなかった〈ターザン・ブックス〉以外の作品も、すべてが日本初登場として同社の叢書に収録されたという事実があるからだ。
ハヤカワ文庫SFに収録されたバローズ作品は、〈地底世界シリーズ〉、『モンスター・マン』、〈月シリーズ〉、〈太古世界シリーズ〉、〈ターザン・ブックス〉。ターザンをのぞくといずれもSF性の高い作品群で、しかもいずれも2桁台の白背として刊行されたことを思えば初期の文庫SFにおいてバローズ(早川書房の表記はバロウズだが)の占める割合の多さがよくわかる。そもそもハヤカワ文庫の創刊は創元推理文庫の好調さにおそれをなした早川書房のなりふり構わぬ所行だったといわれている。だから、初期の刊行分はすべていわゆる白背(カラーの口絵とモノクロの挿画がはいているもの。後に復刻されたものにはこれらのイラストをのぞいて青背に改装したものもある)で、創元推理文庫に似せた形態だった。創元推理文庫、と一口でいうと正確さを欠くかもしれない。断言するならば『火星のプリンセス』以降のバローズに刺激を受けての創刊だったのである。ハヤカワ文庫の初期のラインナップがその事実を如実に示してもいる。
実のところは早川書房としてはバローズ出版には消極的だった。福島正実や森優といった当時の編集長は50年代以降の本格SFを紹介したかった節があるからだ。シェクリイやクラークやハインラインを紹介した後になぜ半世紀もさかのぼったバローズをださねばならぬのか。ウェルズやヴェルヌ、ポーのように一般文学界からも高く評価されている作家なら彼らも喜んで出版しただろう。ハックスリイやオーウェルだっていかにも文学者受けしそうだし、SFの評価を高めるには役立つように思える。しかし、バローズは……なにせ、裸の軍人がだんびら振り回して4本腕の大猿や緑色の怪人と戦い、美女と結ばれて王になってハッピーエンドでは、思想性も科学性もあったものではない。面白いかもしれないが、SFというよりは空想科学小説といった呼び名が幅を利かせ、海野十三あたりの、悪くいえば子供だましなものがたりがまず脳裏に浮かんだ時代からようやく日本にSFの夜明けが来たか、といった状況を作りつつあった時分である。時代の逆行といった思いが、彼らにはあったに違いない。
そこに、東京創元社は『火星のプリンセス』を刊行してきた。背表紙に「SF」と赤文字で書かれたその本は、従来の文庫出版、いや文庫のみならず出版というものの常識を大きくうち破る装丁だった。強いていうなら子供向け叢書に近い体裁のものはあったかもしれない。事実、その歴史に残る装丁の絵をものにした画家「武部本一郎」はそれら児童書の挿画を描いていた人物だった。
子供だまし。そう、思ったかもしれない。しかしその狙いは海野十三とは違っていた。対象とする読者がほんとうに子供であったか、それとも子供の心を持った大人であったか――その差が、大きかった。大人はすでに子供ではないが、子供の時代を経ていない大人は存在しない。心は理解できるのだ。夢を馳せることはできる。そして、結果はでた。創元推理文庫の〈火星シリーズ〉はシリーズものの魔力もあって売れに売れた。SFのラベルが付いたものがベストセラーとも言える売れ行きを示した例はこれが日本でも最初期のことであったに違いない。角川書店などの大手文庫出版社が追随して同様の形態の(しかしかなり安っぽい)文庫シリーズを開始したことも周知のこと。『火星のプリンセス』が収録された叢書は両手の指でも足りないほどにまでなった。
対岸の早川書房だって営利企業に違いはない。編集者の個人的な思い入れはともかくとして、会社そのものは「SFの普及と地位向上のための文化団体」ではない以上、そこに鉱脈があるとわかった宝石を掘らずに指をくわえて見ておれるはずがない。SF出版はこちらが本家だとばかりにバローズでもSF性が高くて本国でも人気の高い〈地底世界シリーズ〉に目をつけ、出版に取りかかった。数年前に発掘された最新刊には〈ヒューゴ賞〉受賞という箔もある。翻訳権を取得することで結果的に東京創元社の戦略の妨害にもなる――と、そこまで考えたかどうかはわからないが、〈地底世界シリーズ〉は当時の早川書房の主力叢書であった新書版のハヤカワSFシリーズに収録された。銀背と呼ばれるその背表紙を、くすんだ金色に変えて(ここに編集者のわずかな抵抗が感じられる。出版社は営利企業でも、編集者はまず我の強い一SFファンであったから)。
新書版の〈地底世界シリーズ〉は都合5冊刊行されたから、売れなかったわけではないだろうが、創元推理文庫の方では〈火星シリーズ〉に続いて〈金星シリーズ〉、さらにE・E・スミスの〈レンズマン・シリーズ〉、〈スカイラーク・シリーズ〉などがカラーの表紙、口絵、さらに10枚以上の挿画を交えて次々に出版され、好調な売れ行きを見せていて、あきらかに見劣りがした。資本力にまさる早川書房としては後塵を拝するに忍びなかったに違いない。ついに同様の形態の叢書をぶつけるという挙にでた。すなわち、ハヤカワ文庫SFの創刊である。
バローズも多く収録されたことは前述の通りのこの叢書。柳の下にドジョウは群をなして泳いでいた。それが思わぬ波紋を呼ぶこととなった。思惑以上に売れたがために訳者たちからはブーイングが起こったのだ。編集者の意向としては娯楽性の強い(彼らが思うところの)非主流の作品を文庫に入れておいて、本格SFはアメリカンなペーパーバック・スタイルの銀背で系統的に出版し、差別化を図る算段だったのだが、文庫と新書での売れ行きの違いは大きく、印税収入で生計を立てている訳者にとっては死活問題が絡んでくる。サラリーマンである編集者ならば読みたい人にだけ読んでもらえばいいといった考えでも食うには困らないかもしれないが、訳者は霞を食わねばならなくなるのだ。理想は食えない。衣食足りてこそ、なのである。
かくしてハヤカワ文庫に口絵も挿画もない青背(またしても背の色を変えてきたところが編集者のささやかな抵抗か)が登場することになり、ハヤカワSFシリーズは廃刊されることになった。
すべては『火星のプリンセス』にはじまった出版革命の一断面である。そう思っていられればバローズ・ファンとしては得意な気持ちでいられるわけで、しばし出版界の現状を忘れられるというものだろう。