ERB評論集CriticsismsforERB


日本版
PLAYBOY
1981年11月号

野生大好きボー・デレク
12月ロードショー『ターザン』より本誌独占


集英社/1981年11月号/第77号/470円


特集記事全文収録

ボー・デレク
野生に犯されたい

本誌独占プレビュー
12月ロードショー『ターザン』

 申し訳ないがねターザン、君の大武勇伝もボー・デレクにあっちゃかたなしだ。監督・撮影が恋人のジョン・デレクときちゃあ焦点はどうしたってボーの方に当たってしまう。ジャングルの“10点満点嬢”に、ここは勝ちを譲らざるを得まい。
 「映画作りはとっても面白いわ。演技するよりはるかに面白いの」と自らプロデューサーをかって出た彼女の成長ぶりも注目の的。
 ジョンも彼女の腕を認めている。「誰もが言うんだ。おや彼女は口応えをするね、って」
 彼女はもうオッパイをユサユサやってるだけじゃない。日本上陸は12月末が予定されているが、これは本誌完全独占によるプレビューである。

 「類猿人ターザン」(原題)は7月24日から全米及びカナダで先行封切りされた。
 この企画は初めジョンの頭の中で「私、ジェーン」という形でスタートした。「彼女の実生活をポートレイトするだけじゃつまらない。ファンタジーを撮りたかったんだ」
 ところが、残念ながら「ターザン」の映画化権をワーナー・ブラザース社が持っており、彼らはデレク夫妻と関係のない所で映画化の計画を立てていた。
 しかし、どんな場合でも必ず抜け道があるものだということを十分知っていたジョンが、30年代に多くのターザン映画を製作したMGMに、自分で電話した。長い間ハリウッド・ジャングルの中で俳優としてやってきた経験から彼はアイディアをめぐらせたのだ。
 MGMは古いシリーズの内の1本の再映画化権を所有していた。それが、モーリン・オサリバンがジェーンに扮し、ジョニー・ワイズミュラーがターザンになった「類猿人ターザン」である。皮肉なことに、これはターザン物の中でもジェーンにスポットが当っている数少ない作品のひとつである。ジェーンは解放された女として描かれ全篇半裸に近い格好で通していた。
 ワーナーからの強い抗議をも物ともせず、MGMは2人と契約を結んだ。合せて、ジョンが監督することも認めた。これを知ったハリウッドの一部には顔をしかめる向きもいたという。
 「僕のことを気が狂った厚かましい男だと言うのもいたんだよ」
 ジョンが監督することに異議を唱えた人は、ボーがブロデューサーになると聞いて完全に腰を抜かした。しかし女優としても大した経験を持たないボーにMGMは550万$を賭けるのに何のためらいもなかったという。
 ロケ先のスリランカを訪れた専門家は、しかし、前評判のマイナス点を総てくつがえす気になった。
 「ボー・デレクなしにはこの映画はありえない」
 封切り館は超満員だった。

 ボー・デレクは原住民に痛えられ、儀式の一部として白塗りにさせられる。自分の運命を、悪質な象牙の王にゆだねなければならなくなったところ。
 白塗りの場面は、撮影に3日かかり、毎日の撮影が終ると出演者たちは川へ体を洗い流しに出掛けた。
 チンパンジー2匹とオランウータン1匹もこの映画の人気のひとつ。
 やきもち焼きのオランウータンであるC・Jは、ターザンとジェーン(ボー)が自分をのけものにして楽しむのが気に入らない。3者で取組み合いをして疲れ果ててしまったジェーン。「私たち1時間半もレスリングをやったのよ」とボーは言う。オランウータンの四岐は人間2人じゃ押え切れないほどのバワーだったようだ。


comment/コメント

 コメントすると品性を疑われそうですが、って、もう遅いか? 表紙画像だけは紹介済みだった、映画『類猿人ターザン』の紹介が収録されていた雑誌『PLAYBOY』です。エッセイでも述べているので繰り返しませんが、ともかく昨今の大きいだけが取り柄の巨乳グラビア・アイドルなんかは足元にも及ばない、芸術的くびれがものすごい肉体派ジェーンの到達点ともいえる当時25歳のボー・デレク主演ジェーン映画でした。あれから約20年、やはり崩れちゃったんでしょうね。
 映画化権のくだりは資料的価値があるかと思いますが、記事としての価値はそれだけですね。

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