どんどん焼き |
2003.3.25 Text: 志賀 佳惟 / Illustration: 青葉 |
『かふぇ・かなめ』のキッチンでは、 臙脂のエプロンを掛けたかなめが忙しく立ち働いている。 コンロの上には、取っ手の付いた長四角の鉄板が置かれている。 食用油を塗った熱い鉄板に、小麦粉を水と鶏と野菜のスープとで 溶いたものを円盤状に薄くひき、 表面がある程度焼きあがったら、キャベツと牛の小間肉を乗せる。 そしてその上に、さらに溶いた小麦粉をかけ回し、もう片側も焼く。 かなめの持つフライ返しが器用に躍った。 「新しいメニュー?」 エプロンを外しながら向かいの客席に座ろうとするかなめに、千鶴は訊いた。 「そうそう。少しレパートリーを増やそうと思って」 かなめは二人の客席の間のテーブルに置かれた、先ほどの『作品』を 千鶴に薦めながら、嬉しそうに云った。 「『お好み焼き』じゃないんだよね?」 「うん。『どんどん焼き』」 「どんどん焼き…」 「まぁ、名前はいいから、食べてみてよ」 「ありがと、それじゃ、いただきます」 千鶴は箸を使ってその一片を切り出し、口に運んだ。 「どう?」 「…うん。おいしい」 小麦粉の生地にも幾つかの工夫が凝らしてあるらしく、 実にふっくらと焼きあがっている。 「…よかった〜。で、どう?メニューになりそうかなぁ」 かなめは少し身を乗り出して訊いた。 「私は、いけると思うよ。うん…セットメニューなんかも面白いかも」 「これに、焼きそばと飲み物とか?」 「そうそう」 喫茶店を経営する場合、通常食べ物で収益を上げることは難しく、 多くの場合コーヒーや紅茶の値段で儲けを設定する。 しかしながら、このかふぇ・かなめは、そんな一般常識をものともせず、 おいしくて、たっぷりとした食べ物を提供し、 それに対して客の人気も上々である。 ここのマスターやかなめ自身もまた、 儲けようなどとはつゆほどにも思っていないのだが、 不思議なもので、その『ゆったりとした雰囲気』に誘われ、 反って常連客が足繁く通い、算盤が十分合う勘定になるのである。 「毅が作っても、似たような感じになるんだけどね」 かなめは千鶴をキッチンに呼び、鉄板を目の前にそんなことを話し始めた。 「やっぱり、双子よね〜」 「ちづちゃんと一緒になってから、どう?毅、台所に立つ?」 「そうね。ときどき『たまには俺がやるか』なんて云ってね」 「そんなところは、昔と変わってないなぁ」 かなめはそう云うと、客席越しの窓の外に、ふっと視線を移した。 店の前の舗道を男女の子供がぱらぱらと駆けてゆく。 その横顔に一瞬寂しそうな微笑が現れ、そして消えた。 そんな風に千鶴には思えた。 「でも、『どんどん焼き』は一度も無いでしょ」 かなめは向き直って訊いた。というよりほとんど確認に近い。 「うん」 「じゃ、ちづちゃんが憶えていく?ここで」 「わたし〜?私にできるかな…どきどき」 「お姉さんにまかせなさい!」 薄桃色のエプロンを渡すと、自分も再びエプロンを掛け、 秘密の特訓が始まった。 「うん、上手上手。まずはこの種類を憶えれば、後は応用だから」 「え、他にもあるの?」 「あるよ〜。これ、結構奥が深いんだから」 「毅、最近どう?」 「小説で食べたいという夢は諦めてないみたい」 「会社、ちゃんと行ってる?」 「それは多分大丈夫だよ」 「ホント〜?」 「一応、お給料は月々貰えているみたいだから」 「で、あっちの方は?」 かなめは悪戯な笑顔で云った。 「あっち?」 「深夜の地震。局地的にベッドで」 ポーカーフェイスを作って、かなめはすばやく云い放った。 「地震…ベッド…あっ」 その意味を察して、千鶴は耳まで赫くなった。 「そろそろ、甥か姪の顔が見たいなぁ〜なんて」 そう云ってかなめは小さく舌を出した。 「あの、まぁ…それなりに」 俯いて小さい声で千鶴は答えた。 「毅には、その辺のことをみっちり仕込んだ手前…あ」 「!…かなめちゃん、まさか…」 「いやぁ、冗談、冗談。あははは」 「…ホント?」 上目遣いに千鶴は訊いた。 --- 蒼い貴女の視線が眩しいわ…って歌の台詞思い出してる場合じゃないね --- 「うん。本当にホント」 その後しばらく、千鶴の追及(?)は続いた。 「それじゃ、また来るね」 どこをどう言いくるめたのか、再び千鶴は上機嫌に云った。 「ちづちゃんが作ったら、毅、きっと驚くよ」 「うん」 千鶴は、本心でかなめと毅がそういう関係になっているとは 思っていたわけではない。 毅の自分に対する深い愛情は疑うべくも無い。 ただ、信頼しあった双子にも、 いつか別々の道を歩かなくてはいけない時が来る。 その何ものにも比し難い寂しさもまた、千鶴は知っている。 いつか見た毅の横顔にも、先ほどかなめが見せたものと同じ思いが感じられた。 --- この二人の絆は決して切れない。また切る必要も無い --- このことに対する千鶴の解答は、一つである。 --- 二人とも、好きになってしまえばいい --- ということである。そう思うことで、霧が晴れる。 「そうだ」 「なぁに?」 「うちでアルバイト、しない?」 「アルバイト…」 「どう?」 「うん。面白そう」 「じゃ、かわいい制服、用意しとくよ〜うふふふ」 「…(ぎく)」 かなめの不気味な笑いに、 --- ちょっと軽はずみだったかな --- と千鶴は冷や汗をかきつつ、思った。 店のドアを開けると、ドアベルがからからと鳴った。 そして、四月の風が二人に春の匂いを運んでくる。 --- どんどん焼き・終--- |
(C) 2003 Yoshinobu Shiga, Aoba
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