創元推理文庫「ウォー・チーフ」解説より
Jan.1989
アリゾナからメキシコにかけての大西部を舞台にした雄大なウェスタン、作者はあのE・R・バローズというと、けげんに思われる読者もいるかもしれないが、本書は本国アメリカではすこぶる高い評価を受けている作品で、評論家やファンの人気投票でバローズの全作品のベストテンないしはベストダズンを選ぶと、かならずそのなかに選定されている折り紙つきの傑作のひとつである。SFと秘境冒険小説が主流であった彼の作品群のなかでウェスタンは異色と見られるかもしれないが、ガンマンでもなく、カウボーイでもなく、保安官でもなく、騎兵隊でもなく、まさにインディアンの若き戦闘酋長をヒーローにしたところにバローズの真骨頂があり、質の高さはトップクラスであろう。そしてこのことは彼の経歴とも密接に関連している。
1875年にシカゴで生まれたバローズの最終学歴はミシガン・ミリタリー・アカデミーで、これは軍事教育を重視する私立高校だが、当時としては、かなり高い学歴である。卒業後に彼はインディアン討伐で名高い第七騎兵隊に入隊して(本文では関係者をはばかってか、第0騎兵隊となっている)、アリゾナのフォート・グラントに配属された。すでに1986年にジェロニモが降伏していたから、もう大規模な戦闘は起きなかっただろうが、それでもインディアンとの追跡ごっこはよくあったらしい(アパッチを追跡しても、一度も追いついたためしがなかったとバローズ白身が後年述懐している)。その後1912年に処女作『火星の月の下で』(のちに『火星のプリンセス』と改題)を発表して遅蒔きながら作家として成功するまで、彼は実に多くの職業を転々とするが、そのなかにはアイダホでのカウボーイ生活、同じくアイダホとオレゴンでの金の探鉱者としての経験が含まれている。 こうした実生活上の生々しい体験が、本書の迫力とリアリティにあふれる記述を生んだことは想像に難くない。事実インディアンの実証的な研究がアメリカではじまるのは1930年代からで、それが本格化するのは第二次世
界大戦後である。したがって本書が書かれた1920年代には信頼できる参考書などは、そう多くなかったはずで、インディアンの風俗習慣から戦闘技術に至る詳細な描写は、バローズ自身の体験と観察、つまりフィールドワークが基本になっているものと思われる。27頁にもあるように、ジェロニモの本名(秘密の本名をべつにすれば)がゴヤスレイであることを知っているアメリカ人は、ほとんどいなかった時代なのだ。
チェロキー・インディアンの血を四分の一ひく母親から生まれたショッディジージことアンディ・マクダフは、いかにもバローズ好みのヒーローであり、ある意味ではジョン・カーターやターザンのインディアン版であって、ここにも作者の全作品に流れている濃厚な原始への回帰願望が見受けられる。またインディアン部落という特異な環境のなかで描かれた幼なじみの美少女イシュケイネイとのこまやかな交流と、彼女の恋の悲しい結末は哀感胸に迫るものがある。これはまさしく『野菊の墓』のインディアン版であろう。
インディアンを悪者に仕立てて、女子供を虐殺する悪鬼に描いた元凶はハリウッド映画だが、むろんその背景にあるのは、白人こそは神に選ばれた地球の支配者、有色人種は獣も同然という牢固とした優越感である。“いいインディアンは死んだインディアンだ”という言葉ほど、それを端的に示すものはない。バローズが本書を執筆した1920年代といえば白人至上主義の全盛期であり、現時点で彼らの優越感を鼻持ちならないと一蹴するのはやさしいが、その当時、大日本帝国を唯一の例外として有色人種と白人種のあいだに国力、軍事力の面で絶大な懸隔があったのは歴史的事実である。そのなかにあってこれほどインディアンの立場から彼らを擁護し、惜しみない同情の念を持って彼らを描いたウェスタンは稀であろうし、それがまた半世紀以上たった現在でも本書の価値を高めている理由であろう。白人の偏見と誤解をたしなめるために、江戸時代の読本作者よろしく本文中にしばしばバローズが登場するところも彼の作品としては珍しいが、同時に実に効果的でもある。
17世紀にヨーロッパの白人が積極的に入植を開始した当時、北米インディアンの人口は約百万人であったと推定されるが、一説によれば19世紀末には十万人以下に激減したという。先住民族であるインディアンがいかに不当に迫害されたかが、これでわかる。本書に登場するコチーズ、マンガス・コロラド、ジェロニモはいずれも実在の人物で、これも一説によればジェロニモは生涯で2,500人以上の白人を殺したといわれている。白人の女子供を殺したのが理由で戦争捕虜(プリズナー・オブ・ウォー)とは認められず、殺人犯として軍法会議で容赦なく死刑を宣告されたインディァンは大勢いる。その点、死刑をまぬがれたという事実から見ても、ジエロニモがハリウッド製インディアンのイメージとはひと味ちがう人物であることが窺われる。
インディアンの赤ん坊のお尻には蒙古斑があり、日本人と同じモンゴリアンである。ベーリング海峡がまだ陸続きであった頃、彼らはアジア大陸からアラスカに渡り、カナダをへてさらに南下したあげくアメリカ大陸に広がったものと推定されている。西へ西へと追いつめられていく悲運のアパッチを背景に、圧倒的に優勢な白人の軍事力にたいして絶望的な戦いを挑む誇り高きショッディジージの活躍が続編でも展開する。
なお巻末のアパッチ用語集は作者のバローズ自身が作成したものだが、本文中に頻繁に出てくるホデンティンが載っていない。お清めやお祓いのさいに撤くものだから日本人の感覚からすると塩を連想するが、これはどうやらひきわりトウモロコシではないかと思われる。
バローズが本書を執筆したのは1926年で、翌1927年に「アーゴシー・オールストーリー・ウィークリー」に連載、単行本になったのは1928年である。好評に応えて、すぐ翌年の1927年には続編が書かれている。彼の膨大な全作品中でウェスタンの長編はつぎの4編である。
THE BANDIT OF HELL'S BEND 1925
THE WAR CHIEF 1928 『ウォー・チーフ』
APACHE DEVIL 1933 『アパッチ・デビル』
THE DEPUTY SHERIFF OF COMANCHE COUNTY 1940
注:この文章は厚木淳氏の許諾を得て転載しているものです。