ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「全作品中のベスト」

創元推理文庫月のプリンセス解説より

Aug.1978


 バローズの「月シリーズ」は三部作から成っている。第1部が本書「月のプリンセス」で、1923年の5月から6月にかけてアーゴシー・オール・ストーリー・ウィークリに連載され、第2部の The Moon Men と第3部のThe Red Hawk はその2年後に同誌に連載されて完結した。単行本の初版は1926年で、三部作全部が The Moon Maid という第1部の原題のもとに一括された。本文庫では、この2部と3部を「月からの侵略」という題名で1冊にまとめ、全三部作を2巻にわけて刊行する。
 さて、物語の発端は1967年6月10日である。まず読者は、時間というものが存在しないこと、つまり時間という観念を放棄することを要求された上で、22世紀に活躍するジュリアン五世の物語を、その当人の口から聞かされる。彼は過去から未来へかけて何回も生まれ変わりを経験し、その生まれ変わりの都度、体験した出来事をすべて記憶している特異な人物である。つまり、この生まれ変わりとは、過去にも現在にも未来にも通じている一種のタイム・トンネルに相当するもので、仏教用語でいう輪廻転生のSF版といえるだろう。こうした前提のもとに、物語は一転して2025年に移行し、「火星」「金星」両シリーズの読者にはおなじみのバローズ十八番の華々しい宇宙活劇(スペース・オペラ)の世界が展開する。しかし宇宙活劇の背景となる別世界の構成に関しては、作者はここでもまた慎重かつ入念な配慮と描写の冴えを見せている。すくなくとも知性を持った生物が月世界にいないという推定は、宇宙飛行士が月面に足跡を印した現在に劣らず、バローズが本書を執筆した当時においてもほぼ常識化していた仮説であった。作者はまずこの仮説を大胆な発想で打ち破っている。なるほど、月面には大気はなく、したがって不毛の世界かもしれない。しかし月の断面はドーナツ状の空洞の世界で、その地下世界には空気があり、高等生物が生息できる気象条件を備えているのだと。バローズのこの仮説を一蹴する前に、アメリカ航空宇宙局(NASA)は月面のみならず、そこに無数にあいている巨大なクレーターの中へも有人宇宙船を派遣する必要があるだろう。
 空洞の月世界という設定は、地球空洞説に基づく「ペルシダー・シリーズ」と同工異曲である。ただし、大きな違いが三つある。第一に、月の地下世界には小さな太陽がなく、光と熱は岩石に含まれた放射性物質によって供給されている点。第二に、ペルシダーへ到達する開口部は北極に一つあるだけだが、月の場合は噴火口なので数多くある点。第三に、ペルシダーの住民は石器時代相当の原始人であったのに対し、月には発展段階が異なる三種類の人間? が存在する点などである。
 「月シリーズ」の第1部は純然たるスペース・オペラとして終始するが、作者はこの中で周到な伏線を張り、2部(ジュリアン九世の物語)、3部(ジュリアンニ十世の物語)はそれを踏まえて、バローズのSFとしては定石はずれの意外な展開を見せることになる。舞台は月から地球へ移り、21世紀から25世紀へかけての400年に及ぶ未来史である。SF作家でバローズ研究の第一人者であるリチャード・リュポフは、月の三部作に対して、E・R・Bの全作品中のべストの一つ one of the best of all his books と最高の讃辞を呈し、さらに、この三部作の中では第2部がベストであると、重ねて高い評価をあたえている。その理由は? ――訳者が贅言を弄するよりも、やはり読んでいただくほうが手っとり早いだろう。


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