創元推理文庫「石器時代へいった男」解説より
Oct.1978
石器時代の歴史は大ざっばにいって百方年といわれている。人間の先祖、つまり直立猿人が2本足で歩き始め、自由になった前足(つまり両手)で粗未な石の道具を作り、火を作り、野獣や外敵と戦うために部落を形成して群居生括を送りながら、ごくごく緩慢な進化をとげていった時代である。そしてこの気の遠くなるような百万年が終わってから現代までの経過は、逆に驚くほど短期間のうちに進行している。すなわち、このあと金属器時代にはいったかと思うと僅々数千年のうちにギリシア、ローマ時代に突入し、さらに2千年を経て現在に至るというあっけなさだ。したがって人間の歴史の中でわれわれが文明と呼ぶ進歩の期間は1万年にも満たず、それ以前の先史時代が百倍の長さを待っていることになる。この先史時代、石器時代には、人間は一箇の野性動物として、たくましく健康に生きていた。大地にも大空にも公害と汚染はなく、動物も値物もすべてが適者生存、弱肉強食の自然の第一法則に従って絶妙なバランスを保ちながら種族の保存を続けてきたのである。しかし文明の進歩につれて地上の支
配者になった人類は、この自然のバランスをくずすことに躍起となってしまった。この結果、多くの動植物が地上から姿を消し、美しい自然は後退を始めた。自動車が文明の利器であると同時に穀人の凶器であることは、今日、3歳の童子といえども知っている。統計上、平均寿命が延びたとはいえ、老人の大半は癌の恐怖のもとに生きている。社会人は脱税の手口に腐心し、学歴社会の重圧は裏口入学というコメディを生む。大国の宰相は常に水爆ミサイルのボタンを押すタイミングを考えて胃潰瘍に悩まされる。小学生の自殺が増えている。旅客機の乗客はハイジャックを覚悟しなければならない――等々、これらはいずれも石器時代には絶対になかった社会現象の片鱗である。(そもそも、石器時代に自殺する子供があったろうか?)自然をとるか、文明をとるか? 文明をとるとすれば、人間は文明によって得たものと失ったものとどちらが多かったろう?
〈石器時代に憑かれた男〉バローズの史観の一端を訳者が代弁するとなれば、右のような感想が当たらずといえども遠からずであろう。バローズは石器時代こそ人間と動物が自然に生きた地上の楽園であると規定する。そして諸悪の根源である文明文化に拒絶反応を示すのだ。本書ではいうまでもなく女主人公(ヒロイン)のナダラが前者を代表し、主人公(ヒーロー)の母親が後者を代表する。そしてこの二つの世界の橋渡しをするのがウォルドー・エマースンから勇者サンダーヘとたくましい変身をとげる主人公(ヒーロー)である。
バローズはその作風からいっても男同士の戦闘や決闘場面の描写に長けているのは当然だが、本書に見られるように、大事な一人息子を野蛮な小娘にとられた母親の怒り、それに反撥する娘の誇りといった、人類と共に永遠に続くであろう嫁と姑の凄絶な女の戦いを描いても巧妙な筆致を見せている。バローズの作品中でも比較的珍しい場景なので特に指摘しておきたい。
ところで、ふたこと目には家柄だの血筋だのと口やかましくいうウォルドーの気位の高い母親に対する作者バローズの最大の皮肉は、美少女ナダラの出生の秘密に見ることができる。彼女の母親の名前、クリイシー伯爵夫人、ユージェニー・マリー・セレスト・ド・ラ・ヴァロワはただのフランス貴族の名前ではない。王家の名前なのだ。フランスの王朝は10世紀のカペー家に始まり、14世紀にヴァロワ家に交替し、そのあとのブルボン家で大革命に遭遇して断絶してしまうが、ナダラはその3大王家の一つの血統をひいているのである。ジャンヌ・ダルクが歴史の舞台に登場した当時のフランス国王シャルル七世はこのヴァロワ家だし、その一門はイギリス王ヘンリ八世、スコットランド女王メアリー・スチュアート、イタリアの名門メディチ家のカトリーヌ・ド・メディシス、スペイン王フェリーペ二世などと姻戚関係にあり、まずヨーロッパ随一の名門といえるだろう。こうした由緒ある名家から見れば、しよせんはヨーロッパを食いつめて、メイ・フラワー号で新大陸に渡った徒輩の未裔が金力を背景にニューイングランド、ボストンの名門などと自称して、新興貴族ぶっているのは片腹痛い話であっ
たにちがいない。バローズは描写の筆を省いているが、スミス=ジョーンズ家の母親は、軽蔑の目で見くだしていた嫁の実家の家柄を知った時、随喜の涙をこぼしたことだろう。
本書の第一部「洞窟の娘」は1913年に〈オール・ストーリー〉誌に掲載され、第二部「洞窟の男」は1917年〈オール・ストーリー・ウィークリー〉誌に連載、単行本として出版されたのは1925年である。この同じ年に、やはり石器時代に取材しながらも、タイム・トラベル・テーマを駆使してSF的展開を見せる彼の傑作の一つ、「石器時代から来た男」が出版されている。文明世界と石器世界の対照に焦点を当てた作品として、本書とともに二部作と見てもよいだろう。