ハヤカワ文庫SF「時の深き淵より」解説より
Mar.1971
この地球上に、未だ誰にも知られない太古の世界が――あるいはわれわれの知っている生物進化の歴史とは異なるプロセスを経た世界が現存し、現代人がそこに踏みこんで、さまざまの冒険をする……こういったSFを、ふつうアメリカでは
lost race ものあるいは lost world , lost continent ものなどと分類するが、この種のSFは、SFの歴史でも、もっとも長い伝統を持ち、しかも、いまだにかなりの読者を持つ、いわば永遠のSFテーマの一つなのだ。
この種のSFで、扱われた世界は、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』(1864)の地底世界をはじめとして、アトランティス、ムーの海底世界、さらにアフリカや南アメリカ、アジアなどの秘境などの、当時まだ文明の及んでいなかった世界のすべての地域に拡がっている。
また、そこに発見される世界には、ギリシャ、ローマ、エジプト、北欧、インカなど歴史上実在した古代文明の名残りだけでなく、架空の民族のそれもあり、登場する人間や動物も多種多様で、イマジネーションのおもむくままな自由な空想が展開されることが多い。
たまたま手もとにあった A Bibliography of the Science Fantasy Novel のなかに、非常に要領を得たこの種SFの系請の紹介の一節が見つかった。以下にその一部を訳出しょう。
SFの発展に重要な貢献をしたジュール・ヴェルヌは、ロースト・レース・テーマをも開拓している。地球を空洞の球として描いた有名な『地底旅行』がそれである。この仮説は、数多くの他の作家の作品でも取り扱われている。1892年には、ウイリアム・L・ブラッドショーがその
"The Goddess of Atvatabar" のなかで、やはり地底の文明世界を創造しているし1897年には、チャールズ・W・ビールが
"The Secret of the Earth" を書き二人のアメリカ人の主人公を、北極にある巨大な穴から、地球の中心へと導いた。また1908年にはウィリス・ジョージ・エマースンが
"The Smoky God" を書いているが、これでは2人のノールウェイの漁師が北極と南極に地底世界への入口を発見する経緯が物語られている。(これらは、明らかに、例のJ・C・シムズと同じくJ・レスリーの地球空洞説に影響されたものだろう)
失われた大陛の伝説も、この種のSFの重要なベースとなっている。フランク・オーブリーの "a Queen of Atlantis"(1900年)では、サルガッソ海にアトランティス人の生き残りが生きているという設定をとっているが、その続編
"Devil Tree of El Dorado" は、南アメリカの秘境に、アトランティス人の植民地を発見する話になっている。南アメリカはアトランティス・テーマではよく使われるが、そのなかではミュリェル・ブルース
"Mukara" とエイヴラム・メリットの『黄金郷の蛇母神』がすぐれている。また、大西洋の海底にアトランティス帝国が生きのびているという設定をとるものでは、スタントン・G・コブレンツの"The
Sunken World" デイヴィッド・パリーの "The Scarlet Empire" デニス・ホイートリーの
"They Found Atlantis" などがよく知られている。一方太平洋側のムー大陸ものでは、おなじくA・メリットの『ムーンプール』E・C・ヴィヴィアンの"City
of Wonder"S・ファウラー・ライトの "The Island of Captain Sparrow" がある。
アジア大陸も、この種のSFの舞台としてけっして無視されてはいない。とくに、インド・チベット国境地城がょく使われ、M・L・カンバーツの "Harileh"
は、インドの秘境に古代ギリシャの文明と血統とを受けつぐ民族を設定しているし、同じ作家の "The Voice of Dashin"
では、チベットの奥深くに、北欧系の民族を発見することになっている。そのほかギルバート・コリンズはアレキサンダー大王が建設した都市にいまなお生きる偉大な部族を描く"The
Valley of Eyes Unseen" モーズビーは古代エジプトを舞台とした "The Glory of Egypt"
を書いている。
十字軍の生き残りを主人公とした作品にはハロルド・ラムの "Merching Sands" とバーシー・ブレブナーの "The
Knight of the Silver Star" があり、中国南部にクメール文化の後裔が生きているというギルバート・コリンズの・
"The Starkenden Quest" 古代カルデア人の子孫の住みついた隠れ谷を扱ったE・C・ヴィヴィアンの "Fields
of Sleep" などがある。
さらに、謎のアジア人種を扱ったものとしては、ウォルター・マスターマンの "The Flying Beast"(アラビア砂漠の地下世界)スタントン・C・コブレンツの
"When the Birds Fly South"(有翼人)ジョン・テインの "The Purple Sapphire"
などがある。
アズテック伝説を扱ったものにはトーマス・A・ジャンヴィアーの "Aztec Treasure House" ハーバート・クロック、エリック・ボーツェル共著の
"Light in the Sky" エドウィン・セービンの "The City of the Sun"
ジェームズ・P・ケリーの "Prince Izon" など。
トルテック伝説では、チャールズ・S・シーリイの "The Lost Canyon of the Toltecs" ジョージ・B・ロドニーの
"Beyond the Range" など。
マヤ伝説ではA・ハイヤット・ヴァーリルの "The Bridge of Light" ジュワニタ・サヴェジの "The
City of Desire" T・A・ウィラードの "The Wizard of Zacna" など。
これらのほか、アラスカを舞台にしたA・メリットの『唇気楼の戦士』南アメリカを舞台にしたハリー・ハレーの "Immortal Athalia"
それにいうまでもなくコナン・ドイルの『ロスト・ワールド』が、先史時代が今日まで残ったという設定のSF秘境ものとして有名である。
アフリカを舞台として最もよく知られているのは、いうまでもなくH・ライダー・ハガードの『洞窟の女王』『女王の復活』の諸作だが、そのほかアフリカの中央部に、古代エジプト文明が、往時の栄華そのままを残しているというオルツイの
"The Gates of Kamt" や、ハガード・スタイルだが白人種族の物語になっているアーサー・ネルソンの "Wings
of Danger"なども、忘れてほならないだろう。(後略)
ここに訳出した作家や作品の大半は、わが国では未紹介だし、恐らくはもうそのチャンスもないだろうが、こうしてみると、いかにこのジャンルがイマジネーションの小説の世界で好かれていたかがわかろうというものだ。
これらのほか、思いつくままにもう二、三の作品をあげてみると、まず、アトランティス伝説の新解釈をこころみたピエール・ブノアの『アトランティード』がある。
この作品では、アトランティス帝国の後裔がサハラ砂漠の奥に秘密の国を創っていることになっている。この砂漠に迷いこんだフランスの騎兵将校がその国――アトランティードにたどりつき、妖しい女王アンティネアの魅惑のとりことなる経緯はよく知られているだろうが、発表当時(1918年)非常な好評を博しアカデミー・フランセーズの小説大賞を得たが、同時に、ライダー・ハガードの『洞窟の女王』の模写だという非難もあび、ブノアとハガードのあいだで激しい論戦が戦わされて評判になったものだった。
同じくアトランテイスものでレスリー・ミッチェルの "Three Go Back" がおもしろい。これは、主人公が大西洋上を飛行中に、タイムワープにまきこまれ、一万五千年過去のアトランティスに不時着して、異常な体験をするというストーリー。また、コナン・ドイルの『マラコット海淵』が、典型的なアトランティス・テーマのSF古典であることはいうまでもない。
バロウズのこの〈太古世界シリ―ズ〉〈地底世界シリーズ〉も、このリストの重要部分をなすが、これとほぼ同時期にソ連の地質学者兼SF作家のオーブルチェフが、これによく似た地底ものの傑作『プルトニア』を書いている。
また、日本でも、大正末期から昭和初年代1920〜1940)にかけて、いくつかのすぐれた秘境SFが書かれている。国枝史郎の『砂漠の古都』(大正11年=1922年)小粟虫太郎の『有尾人』『地軸二万哩』『成層圏の遣書』などの連続短篇(昭和14―17年=1939−42年)がそれである。いずれも、ヴェルヌその他海外作家の影響を受けたいわゆるバタ臭い作品ではあるがわが国SF史のなかではユニークな存在だ。
秘境ものは、19世紀なかばから、20世紀初頭にかけて、その大半が書かれている。これはちようど、ヨーロッパ諸国、アメリカなどのいわゆる先進国家が、最後の帝国主義的な領土拡張競争を行なって、その当時のいわゆる秘境、未開発地域への野心をあらわにした時代でもあった。秘境ものSFのロマンチシズムも、もちろん、そうした時代背景と無縁ではあり得なかったわけである。それだけに、地球のすみずみまでが開発されようとして、そうしたロマンチシズムを満足させる〈秘境〉がなくなりつつある現在では、もう二度と過去の繁栄を復活させることはないだろう。