ハヤカワ文庫特別版SF「勝利者ターザン」解説より
may.,1978
解説という形式にこだわらずに書くことにする。
本書の訳者の長谷川甲二さんと知りあったのは、昭和24年ごろのことである。新憲法下の第1回の参議院選挙で、私の父は当選し、議員となった。そして、私はいちおう秘書という肩書きで、時たま国会に出かけた。大学院に在籍しており、気楽なアルバイトみたいなものだった。山本有三氏の作った緑風会が最大の党派であったことから知られるように、良識の府というムードがあった時代である。
長谷川さんもその時、ある議員の秘書をしていた。おたがい同年配ということもあり、なんとなく交際するようになったのである。彼はなかなかスマートな青年だった。私もたぶんそうだったはずである。なにしろ、はるか昔のことなのだ。
三木武夫が最年少の大臣となったが、参議院ではその顔を知られていず、どこかの受付けで「あなた、どなた」と聞かれ、胸を張って「逓信大臣」と主張していた光景などを思い出す。
国会内で会いながら、私たちは改治の話はぜんぜんしなかった。やがて長谷川さんが文学青年とわかり、太宰治の作品について話しあったりした。観念的な文学論でなく、すなおに共鳴できるもので、私はひそかに感心したものだ。
そのうち、長谷川さんがラブレーの『ガルガンチュワ物語』とアナトール・フランスの『鳥料理ロオヌ・ベドオク亭』の2冊を貸してくれた。ほかに娯楽の少ない時代で、私はたちまち読んでしまった。それを返す時、
「どっちが面白かったか」
と聞かれ、私は、
「アナトール・フランスのほう」
と答えた。当時、ラブレーのよさのわかるぼどの精神的な余裕がなかったせいであろう。長谷川さんは意外そうに、
「あなたは理性の人ですなあ」
と言ったものだ。私はものごとに熱中しやすいところがあり、それをきっかけに古本屋をまわったりしてアナトール・フランスの長編を何冊か買い、短編については白水社版の全集をそろえ、愛読するにいたった。
それは、いまの私の作風に、なにがしかの影響を与えているはずである。正直なところ、モーパッサンよりも好きである。つまり、長谷川さんは私に文学の手ほどきをしてくれた人たちのひとりということになる。もし、あの時、ラブレーのほうにのめりこんでいたらと思ってみたりもする。
そんな交友も、長くはつづかなかった。昭和26年の1月、私の父が死亡し、国会へ行くこともなくなったからだ。私は膨大な借金をしょいこんだ会社の整理という、いまになってみれば貴重な体験をするはめになった。
そのご、長谷川さんがどんな仕事をしていたかは、よく知らない。進駐軍相手になにかのセールスをやっているような話を聞いたこともあった。野坂昭如や五末寛之がしきりに回想記を書いている、あの混乱期である。さまざまなことをしたにちがいない。
それでも、時たま手紙をくれた。なんの用件もなしに、それが舞い込んでくるのだ。浮世ばなれした内容で、ユーモアにあふれており、なんともいえぬ面白いものである。読みなおし、何回も大笑いした。
こと手紙に関しては、彼にまさる人を知らない。この調子で小説を書いたら、きわめてユニークなものが出来るんじゃないかと思ったものだ。この考えは、いまでも変らない。作家としての才能のある人なのだ。
いまになって思うと、あの手紙は混乱状態のなかであたふたしていた私をはげますものだったのかもしれない。とすれば、まことに親切な人である。
そして、数年前、また手紙をもらった。今回は内容のあるもので「翻訳の仕事をしたい」とあった。なぜそんな気になったのか知らないが、ほかならぬ長谷川さんのことである。なんとかしてあげたい。
しかし、私には翻訳の部門のことはよくわからない。それに、彼の語学力の程度も知らないのだ。こうなると、矢野徹さんに相談する以外にない。
かくかくしかじか、みこみのあるものなら指導してあげてもらえないか。そう矢野さんに電話すると、こころよく承知してくれた。矢野さんもまた、親切な人である。
矢野さんの指導よろしきを得てか、長谷川さんの才能と努力もあってか、何冊かの少年物の翻訳が出され、ここにはじめて長目のものが1冊になって出版されることになったのである。
一般の人は翻訳者の苦労をあまり知らない。私もそうだったが「翻訳の世界」という雑誌を事情があって何冊か読み、かくも大変な作業かとびっくりした。小説を書くぼうが、はるかに楽のようだ。すぐれた小説となると、話はべつだが。
私がここに一文を書くことになったのも、なにかの因縁であろう。
そんなこともあって『勝利者ターザン』を読んだ。打ちあけたところ、ターザン・シリーズをはじめて読んだわけである。短編作家ともなると、読書はどうしても短編が優先してしまうのだ。
ターザンというと、私のような世代の者にとっては、映画の主人公として、これにまさるなつかしいものはない。チャップリンよりも、はるかに強く印象に残っている。戦前にも見たし、戦後にも見た。合計したら、ずいぶんな数になる。ストーリーが無条件に面白いばかりでなく、動物のなかで育ったという設定がいい。筒井さんがなにかというとターザンを登場させたがるのも、よくわかる。
この異色のヒーローを作り上げたのはアメリカの作家、エドガー・ライス・バロウズで、第1作は1912年(大正元年)に発表され、大評判になった。それを支えた当時のアメリカの社会状況を調べたら、なんらかの関連が発見できそうだが、まだ勉強中なので、それは別の機会にゆずる。
福島正実編『SF入門』によると、バロウズが『火星のプリンセス』を書いたのは、1917年(大正6年)である。これは私も読んだが、独特の情感といったものが流れていて、なかなかよかった。
それ以前にウエルズの『宇宙戦争』など交戦テーマのSFはあったが、他惑星の内務に地球人が手を貸し、さまざまな冒険をするというタイプのものは、これが最初である。スペース・オペラの創始者なのだ。
この点からみても、バロウズがなみなみならぬ作家であることがわかる。ストーリーの展開が、まことに巧みだ。
ところで本書の解説となるわけだが、物語の面自さで成立している作品に、あれこれつけ加えるのは蛇足というものだ。私は長編かと思って読みはじめたが、これは中編集であった。
「ターザンと難船者」は、なんと孤島物である。映画で見なれている者にとっては、まさに意表をついた舞台設定だ。もちろん、その島はただの島ではないが。
これを読んで、作者のユーモアの一面を知ったのは新発見であった。そのほか、ターザンの人生観もはじめて知ったしだいである。
いささか飛躍するが、ハードボイルド物のもとも、このへんにあるのかもしれない。都会もある種のジャングルであり、ターザンを都会で活躍させれば、ハードボイルドになるのではなかろうか。
他の2作も、それぞれ趣向をこらした作品で、バロウズの多彩な才能を示している。
現在はアフリカの情勢も一変し、もはやこういう作品はうまれないが、ターザンの野生動物たちへの深い愛情は、時代を超えて現代人の心に訴えるものがある。ターザンのおとろえることのない人気は、そのへんにあるわけだろう。
とにかく、長谷川さんの翻訳のおかげで、私も読者のみなさんも、これらの作品に接することができ、ひとときを楽しめたというわけである。
昭和53年5月