創元推理文庫「火星の幻兵団」解説より
Mar,1966
数年前のことになるが、わたしの手許にアメリカから一通の手紙が届いた。差出人は、後に紹介するバローズ・ビブリオファイルの本部からであった。
曰く――アメリカ郵政省は目下、エドガー・ライス・バローズの記念切手の発行を検討中である。この際、われわれはバローズ・ファンの面目にかけて、是が非でも記念切手の発行を踏み切らせねばならない。会員諸兄よ、ひとり残らず郵政長官宛に陳情の手紙を書こう! 宛名は……、文面は……。
日本人であるわたしが陳情しても、さほどの効果は望めまいと思い遠慮はしたのだが、郵政長官のデスクには、ファンにょる陳情書が山積されたことは想像するまでもない。だが、その後、この一件に関してなんらの音沙汰もないことから推して、この計画は実現しなかったようである。陳情運動の音頭をとったのは、アメリカ、カリフオルニア州、ターザナという町の郵使局長である。
ターザナは、ロスアンゼルス市の北西約20マイル、101号国道と27号国道のインターチェンジのある人ロ約1万2000人ほどの小さな町であるが、1918年、バローズが買いこんだ広大な地所を中心にして発達した。ターザナという町名は、いうまでもなく、ジョン・カータ一とともにバローズの双璧をなす“ターザン”にちなんで名づけられた。
町の住民全部が、バローズのファンというわけではないが、バローズの一族は現在もなおここに住んでおり、世のバローズ・ファンにとってターザナは”聖地”にも等しいといえる。SF、ないしSFの周辺の作家の中で、バローズほど、広くかつ熱心に古くから読まれ、そしてまたバローズのものであれば、どんなものであれ読むといった熱烈なファンの一群が存在する作家は他に類例がない。まして、ファンというものは、どこであれそうであるが、彼らの熱狂ぶりはほほえましいとともに、いささか狂信的な面さえある。
たとえば、卑近なところで、バローズの著書の、仲間うちの最近の取引値段であるが、〈火星のプリンセス〉の初版、1917年版が裏表紙がち切れているという注釈つきながら80ドル、1928年版でさえ十数ドル。
1930年代に出版されたジョン・カーターのマンガ本第1号になると、値段も際限なく、最低価を40ドルで自由入札という現状であり、これがいくらで誰の手におちたかは判明しないが、おそらく100ドルは軽く越えたことは想像にかたくない。
また、わたしの書庫のアメージング・ストーリーズ誌の中で、40年代に限って、どうしてもバック・ナンバーの揃わない号がある。調べた結果、それらの号はすべて、ジョン・カーターものが発表された号であった。おそらくこれを全部揃えることは不可能に等しいが、バローズのファンたちが買占めて、投資の好材として手離そうとしないのだろうと思われる。
ちなみに、自画自賛に堕すが、わたしのところにある〈火星の合成人間〉の連載されたアーゴシー誌が揃っていることは、まさに奇跡の中の奇跡というほかない。
このようにバローズ狂を集めて組織されたファンクラブが、初めに書いた有名な“バローズ・ビブリオファイル”である。
本部をミズリー州カンサス・シティーに置き、目下正会員は1000名を越えている。会員名簿を一見すると、作家であり、ファンであり、作家の工−ジェントであり、また世界一といわれるSF本のコレクターであるF・J・アッカーマンをはじめ、〈火星シリーズ〉を初め続々とバローズの作品を出版しているバランタイン・ブックスの社長イアン・バランタイン、SF評論家として有名なサム・モスコウィッツ、作家のスカイラー・ミラー、またバローズのものを出している工ース・ブックスの編集者であり作家であるD・A・ウォルハイムなどの名が目にとまる。
〈バローズ・ビュレティン〉というタイトルの会報にいたると、バローズの作品をめぐって、いかにもマニヤらしい記事がのっている。
たとえば、ファン訪問の紙面には、ご丁寧にも部屋を改造して、巨大な仏壇のょうなものをしつらえ、カーテンを開くとそこに現われるのは〈火星のプリンセス〉の初版の原画、デジャー・ソリスの肖像が額に収まっているという部屋の写真が麗々しく載っていたりして、思わず徴苦笑とともにファンの熱狂的な気質と心酔のほどを知らされる。
そのいっぽうでは、大変シリアスな〈火星女性論〉デジャー・ソリスをはじめとして、ソラ、スビアと巻を追うにしたがって読者の眼前に登場するすてきな火星女性の比較論が載っている。そうかと思うと、バローズの鉄道警官時代の写真をとりあげて、彼の口ひげの真贋を論じ、口ひげは後年バローズ自身の悪戯による加筆修正であるなどという愚にもつかない大論争が交わされたりする。
そのほか、会報からとりあげれば枚挙にいとまがないが、1940年代、バローズがホノルルに住んでいた頃、ハワイの王族の子孫でプロレスラ―をやっているプリンス・イラキという男とともに撮影した写真が発見されたといって一ページをさき、カナベラル・ブレスがバローズの版権を入手したといっては天下の大ニュースのごとく書きたてるいっぽうでは、
Eighth Ray――第八光線「火星のプリンセス」の物理的特性に関する数式だらけの大論文(この著者は1927年に初めて〈火星のプリンセス〉を読んで以来、実に三十数年にわたってこの研究をつづけてきたとある!)が延々10ページにわたって書かれていたり、火星シリーズ全作品中に出てくる火星の地形、地名に関するあらゆる記述を徹底的にぬきだし、検討の上で構成された火星、バルスームの大地図が発表されたり、ファン気質横溢の楽しい機関誌である。
しかし、バローズ・フアンの活動はそれだけではない。“バローズ・ビブリオフアイル”という名称からもわかるように、バローズに関するビブリオグラフィー(書誌学)もまた、舌をまくほどりっぱなものができている。
へンリー・ハーディ・へインズ、この人は牧師であるが、バローズの出版50周年記念に、限定版で刊行したビブリオグラフィーは四百数ページの大部である。第一部と第二部とに分かれ、一部は詳細をきわめたビブリオグラフィー、二部は初版本の挿絵や宣伝ポスターなどのはいったものである。
そのほか、B・M・デイの編集によるものがある。へインズにくらベると、その質量ともに簡素をきわめるが、よくまとめられている。とくに表紙絵の映画俳優ジョージ・チャキリスにそっくりのジョン・カーターは印象的である。
また、ジョン・ハーウッドの手になるバローズが公にした、小説以外のすべての著作物および印刷物になったバローズとバローズに関するあらゆる記事のインデックス――これなどは、熱烈なファンにして初めて可能な労作といえる。驚くことは〈火星のプリンセス〉がオール・ストーリー誌に初めて出た頃の批評から、今日のフォースクエア・ブックスの紹介記事まで一つ残らず収録されていることで、その熱意には頭がさがるほどである。
その他、絶版になったバローズの作品を会員制で復刻版を出す企てなどは、日常茶飯事のことであり、いちいちとりあげるいとまもない。
バローズ・ビブリオファイルは1947年に結成された。初期の頃の会報にはバローズ自身、随筆などを寄せているが、結成3年後の1950年3月、バローズはこの世を去っている。
バローズの死によって、ファンたちが失ったのはバローズそのひとだけではなく、バローズの創造したいくたりもの主人公たちと、彼らが活躍した様々な世界もまた、すべて失われ、それ以後、二度と現われることはなかった。しかも、彼の死によって数編の〈火星〉ものや〈ターザン〉ものが未完のまま残されたのである。
ファンたちが、その実情を残念に思い、いかに心配したかは想像にかたくない。だが、その甲斐もなく、それらの作品は未完のまま放置され、バローズの遺族たちは黙っていてもはいってくる莫大な印税とターザナの不動産収入とで、未完の作品の形を整えることなど意に介さなかったらしい。その間、ファンたちは未完の部分のストーリイについて検討を加えていたのである。当時、まだ無名に近かったレイ・ブラッドベリなどは、少年時代からバローズの〈火星シリーズ〉などの愛読者として、その熱心なファンのひとりだったといわれる。
そして、それから5年目、〈アザー・ワールド〉誌の1955年11月号には、S・J・バーンの書いた〈火星のターザン〉という作品が登場した。
この作品によって、バローズの二つの世界を一体化する――いってみれば、すベてのバローズ・ファンが意識的にしろ無意識にしろ抱いていた夢が実現したわけであるが、この企画の背後には同誌の編集長R・パルマーがおり、〈アメージング〉誌の編集長を退いて自らはじめた雑誌であった関係上、スタンド・プレー意識が多分にあった。しかし、この壮挙はSF界に騒然たる話題をひき起こし、著作権にからんでバローズの遣族ともめたことは言を待たない。いざニセのバローズの作品が現われてみると、ファンの反応もまた複雑をきわめたといわれている。
作品そのものは、かなり長いものであるが、非常によくバローズの文体がこなされており、ターザンや火星の性格もよく生かされている。
だが――しかし――。
結局のところ、ファンたちの結論は一致している。
それは、バローズというひとがいかにスケールの大きな作家であったかを、いまさらながらファンのひとりひとりが考えさせられる契機となったことであり、と同時に、また自分たちが、いかに深くバローズの作品の一つ一つに傾倒していたかを再認識するにいたったということである。
なお、バローズ・ビブリオファイルのアドレスは
HOUSE OF GREYSTOKE
6657. Locust,Kansascity,Missouri,USA 64131.
である。ここしばらく、その活動は鳴りをひそめているが、いずれ再開することはまちがいなしと思われる。