ERB評論集 Criticsisms for ERB


野田宏一郎「バロウズとファンたち」

ハヤカワSFシリーズ戦乱のペルシダー解説より

Oct.1967


 SF、およびSF周辺の作家たちのなかで、エドガー・ライス・バウロズほど幅広いファン層をつかんでいる作家は一人もないといってよい。特定の作家を対象にしたファン・クラブ――たとえばコナン・ドイルのシャーロック・ホームズにおけるベーカー・ストリート・イレギュラーズ――がつくられているのは、バロウズ以外にはないといっていいだろう。かろうじてこれに類するものにラヴクラフトがあるくらいのものである。
 しかもERB――エドガー・ライス・バロウズなどとわざわざ言う必要もない。すぺてERBで通用する――のファン・クラブはひとつやふたつではない。大小無数の――といえば語弊があるがとにかくERBの作品がすきですきでしようがない、というファンたちのクループの正確な数は、おいそれとつかみきれないほどの数になるのである。

 バロウズの諸作が邦訳されほじめて以来、わたしは未知のアメリカ人からいったい何通の手紙をもらったことだろう。
“未知のあなたに突然お手紙をさしあげる無礼をおゆるしください……”にはじまって“わたしは日本国内において出版されているERBに関する全部のItem(本だけではない、全部のItemなのだ)がほしいのです。お礼としてERBの肖像写真か、ペルシダーの初版本をあげますから……”などというたぐいのものである。
 たまたま、かなり以前に自動車のポンコツ屋で、買ったパーツを包んでくれた紙が、なんと昔なつかしいワイズミューラーのターザン映画のポスターだったので、なんかの記念にととっておいたのがあったので、そいつを送ってやったところがやっこさん喜ぶまいことか。
“オオ、わたしの喜びをあなたにお伝えするすべがペンだけであるのは非常に悲しい……”みたいな手紙をよこしてきた。
“当地にはERBのファンが非常に多く全員がそれを持つことを熱望しております。ついてはさらに二○枚ほどお送りいただけますまいか……”
 いまさらノコノコ堅川町くんだりまで、ポスターをさがしにいくほどとっぽくもないので、まあ油にまみれたその一枚でご勘弁をねがったが、そんなたぐいの手紙はそれこそワンさとやってくる。
 日本語が読めるわけでもあるまいにとは思うのだが、そもそもアメリカの最有力なERBファン・クラブ“バロウズ・ビブリオ・ファイル”の親玉あてに送ってやった古い講談社版の子供むけの“ターザン物語”数冊のおかげで、わたしはたちまち同クラブの極東地区代表にまつりあげられたんだからおしてしるべし。〈ペルシダー〉などは何冊送ってやったかしれない。
 がんらいファンなどというのは、そんなものであって、そんなものでなければつまらないものなのだろうが、傍目にはずいぶんと珍妙なものに見えることにまちがいはないだろう。
 あるアメリカのファンで、自宅の居間に仏壇をしつらえたやつがいる。柚のひもをひっぱると、スルスルとカーテンがめくれあがり、なかにぱっとお灯明がともって、その奥に鎮座ましますジョン・カーターのやつ、火星の美女デジャー・ソリス妃の御真影を照らしだす――というんだから吹きだしてしまう。
 しかしご当人は大まじめ、近々もっと仏壇を大きくするんだとはりきっている。

 現在ERBのファン・クラブでもっとも大きいのは〈バロウズ・ビブリオ・ファイル〉と〈ERBダム〉の二つだろう。
 前者は本部をミズリー州、カンサスシティにおき、正会員千人を号しているが、そのなかには、バランタイン・ブックスのイアン・バランタイン、作家のスカイラー・ミラー、SF評論家のサム・モスコウイッツ、工ース・ブックスのD・A・ウォルハイム、世界最大のSF本コレクターF・J・アッカーマンなどがずらりと名をつらねており、機関誌〈バロウズ・ビュレティン〉をほじめいくつかの刊行物が発行されている。
 一方で〈ERBの女性観〉などと称してデジャー・ソリスと美女ダイアンの比較論を大まじめでやってるかとおもえばERBが若いころ鉄道警官をゃっていた時分の写真をとりあげて、やれ、あのロヒゲはのちにERBがペンで落書したものだとか、そうじゃないとか派手な論争がもちあがったりしていて、まことにファンのムード横溢のたのしい機関誌である。
 かたや〈ERBダム〉のほうば、カミル・カサドジュという一ファンの個人誌で購読会員制をとっているが、この機関紙〈ERB〉は、アメリカにSFファンジンのかずあるなかで、装幀といい内容といい、おそらく最高のレベルを保持しているといってよい。一昨年のヒューゴー賞を獲得しているのもむべなるかなと思う。
 ペルシダー地図だとか、地球空洞論の紹介だとか大変実のある記事が多い。

 ERBファンたちのこうした活動や、その成果のひとつであるファンジンを手にしてしみじみ感じるのはSFにはまだまだいろんなたのしみかたがあるのだなという感慨である。第一ページから巻末まで読みとおして、それでおしまいというのではない。あっちをひっくりかえし、こっちをつっつきまわし、仲間たちと語りあい論じあい、ああでもないこうでもないとひねくりまわしているその姿を見るにつけ、ERBという男は本当に幸福な男だったのだなという感慨を禁じえないのである。


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