ERB評論集 Criticsisms for ERB


野田昌宏「地球空洞説のしめくくり」

ハヤカワ文庫SFペルシダーに還る解説より

Jan,1972


 ――コロンブスがアメリカ大陸を発見するまでの旧大陸住民にとって、大西洋の彼方にあたらしい大陸が存在するなどという話はまさに狂人の夢にもひとしい愚論にしかすぎなかった。
 おなじように、今日、地底の新世界――地球内部の空洞にある世界の存在を主張することは、ちようどコロンブス以前の旧大陸の人々にアメリカ大陸の存在を説くようなものであろう……。

 1963年の7月にアメリカで刊行されたレイモンド・バーナード博士なる人物の〈The Hollow Earth〉というB4判・100ページあまりのガリ版刷りの資料は、ペルシダーもどきの地球空洞説を展開するにあたって、そんな表現を枕に使いながら話をすすめていく。
 簡単にいってしまえば、地球に〈北極〉とか〈南極〉とかいうものはないというのである。なぜないか?――そこには巨大な穴が開いていて。もしも〈南極〉とか〈北極〉とかいうものを無理に設定するのなら、それは、その大穴の上の空中にしか設定のしようがないというわけである。
 地球空洞説そのものは決してあたらしいものではなく、その系譜については一六九二年のエドマンド・ハレーからJ・レスリー、そしてJ・C・シムスにいたるまで、このシリーズの第1作〈地底世界ペルシダー〉の巻未でざっとご紹介したとおりである。
 J・C・シムスの両極大穴説がE・A・ポーをはじめとしていろいろな作家に影響を与えた話もたしか紹介しておいたはずだが、すでに〈地底世界のターザン〉を読まれたあなたは、このバロウズもまたJ・C・シムスの説の影響を受けていることがよくおわかりだろう。
 ところで北極回りのヨーロッパ向け定期旅客便が毎日発着し、南極の昭和基地で越冬する日本人がたくさんいる当節ともなれば、その手の奈説珍説がますますもって滑稽に見えてくるのも当然のことなのだが、たとえば南極大陸を例にとれば、18世紀の未以来、多数の探検家による調査がおこなわれてきたとはいえ、結局この南極大陸は地球上に最後まで残された未知の大陸だったのである。アムンゼンとスコットによる有名な南極点先陣争いなどを織りこみながら着々とその謎の解明はつづげられてはきたもののその大部分は海岸地帯にかぎられ、この大陸の輪郭がはっきりしたのさえやっと第一次大戦直前というしまつ、ごく一部をのぞいての南極大陸の内陸部はまったく未踏の状態だったとなれば、そこに大穴が開いている――などという主張がおこなわれるのも、あながち無理なこととはいえないだろう。
 一方、北極のほうはというと、こちらには大陸がないだけに、北極海周辺の探検行は西紀紀元前からおこなわれ北極点へ到達しようというこころみは1607年のH・ハドソンを皮切りにして徐々に徐々に北極へと肉迫していき、1909年ついにアメリカのピアリが到達に成功している。それ以来、アムンゼンの飛行船〈ノルゲ号〉、あるいはウイルキンスの潜水艦〈ノーチラス号〉(原子力潜水艦とは別もの)などさまざまな探検行がこころみられているとはいえ、北極周辺の地図をひろげてみてもそれはただ点と線にすぎず、北極には依然として大きな謎が――あってもおかしくなさそうな様相を見せているのである。

 まあ、そんなわけで、J・C・シムス以後にもアメリカのウイリアム・リードの〈Phantom pf the Poles〉(1906)だとかマーシャル・B・ガードナーの〈AJourney to the Earth's Interior〉(1920)など、空洞説についての名著といわれている本はいくつも刊行されているのだが、さて、このレイモンド・バーナード博士が一九六三年に発表したその空洞論の裏付けはなにか――というと、南極探検家として有名なアメリカのバード少将が現にその大穴を発見しており、かれはその事実の発表を政府からおさえられたまま1957年に死去してしまった……というのである。
 バード少将といえば1928年に南極のロス氷棚に今日のリトルアメリカ基地の基礎をつくりあげ、以後、1950年代まで数回にわたってアメリカ海軍の南極調査の指揮をとった、いわば南極探検史上の大物中の大物として知られる人物である。このバード少将が、地球内部の大空洞に通じる南極の大穴を発見したとなれば、これはえらいことである。
 えらいことであるからこそ、アメリカ政府はそれをかくしているんだ――というのがバーナード博士の主張なのだが、バード少将が大穴を発見したという手がかりは少将自身の発言にある――というのである。

 まず1947年、この年にアメリカ海軍は第68機動部隊を編成してバード少将を指揮官として〈オペレーション・ハイジャンプ〉と呼ばれる南極探検および極地用兵器の大がかりなテストをおこなっているが、この作戦終結後、かれはただち北極において短期間の調査をおこなっている、その際に、かれは記者団の問にたいしてこういっている。

 私の極の彼方の土地をこの眼で見たいとおもう。その極の向こうの地域は大きな謎の中心をなすものだ。

 問題はバード少将がこの発言のなかで、極の彼方、The land beyond the Pole という表現を使っているというのである。北極はご承知のょうに海であり陸地はない。なんでそこに land という言葉を便っているか? 少将は張りつめた氷の原に Land という詩的な表現を使うような人ではないし、なぜ across ではなくて beyond なのか……というわけだ。
 そしてさらに1956年1月におこなわれた〈オペレーション・ディーブリーズ〉の際に、少将が南極点を飛行したことを報じたニュースはやはり across ではなくて beyond を使っているというのである!

 話はこれだけのことなのだが、これをもとにして実に、100ページにもわたって徴に入り細をうがって考証を進めているのは感心するほかはない。
 SASのDC−6Bが東京――オスロ間の北極回りの試験飛行に成功したのは1953年のことだが、これがなぜその大穴に気がつかぬかといえば、慣性船法方式(北極点ではコンパスがきかない)や天測航法のために北極の真上を通らないせいだ――とか、1959年3月のアメリカ原子力清水艦スケートの北極点洋上は……だとかいった具合である。
 まあ、このへんまではいいのだ。ここで、かつての〈アメージング・ストーリーズ〉の編集者として悪名をはせたレイ・パーマーが登場してくると、がぜん話はおかしくなってくる。
 かれが、当時出していた〈フライング・ソーサー〉誌にこのバード少将の一件を掲載したとたん、刷り上った同誌は謎の(CIAの――というところらしい)発行停止をくらい、原版も行方不明となり……といった具合。
 そしてさらに、例のUF0の故郷がこの空洞世界だとなると、これはもうゴメンナサイといいたくなってしまうのである。
 しかしかれはいう。
 ――UF0の乗員が火星や金星の住民だと考えるのとわれわれとおなじこの地球の住人と考えるのといったいどちらがリゾナプルであろうか?
 地底の住人たちは、地球人たちの野蛮な核実験を正めさせようとして、UF0を使ってわれわれに警告をくり返しているのである………。

 気象衛星ニンバスT号が南極点と北極点の写真を数千キロの上空から撮影オることに成功したのはこの本が出た翌年1964年8月から9月にかけてのことだが、いずれも穴は写っていなかった。これをパーナード博士とやらがどううけとめたのかぜひ聞きたいところである。
 ぜひ聞きたいのはたしかなのだけれど、それでもちょっとさびしい気がするのもまたまぎれもない事実なのである。


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