ERB評論集 Criticsisms for ERB


野田宏一郎「スペース・オペラの決定版
E・R・バローズの〈火星シリーズ〉について」

創元推理コーナー SF特集号より

Sep.1965


 17世紀の中頃、ホイゲスやフックが手製の望遠鏡で火星をのぞいた時、彼等はすでに火星の表面になにか模様があるのを発見しているが、ものずきな地球人類の目が火星にむけられたのは19世紀のはじめ、ハーシェルの時代のようである。
 彼はすでに火星表面のスケッチを行なっており極冠が季節によって、その大きさを変えることや昼夜の長さがほぼ地球と同じことなど知っていた。
 そして1877年と1879年の火星の大接近の際に、スキャパレリがその観測報告の中で、火星の表面にみられる条痕という意味で使った〈カナリ〉という言葉が英訳の際に〈運河〉と訳されたことに始まり、つづいてダグラスやローウェルなどの天文学者が続々と発表した観測結果は、人びとに〈なにかが火星にいるのではないか〉という期待を持たせるのに十分な含みを持っていたのである。
 ところで、SF史上、火星をテーマにした作品といえば、ほぼその頃に続々とあらわれたが、なんといってもまずH・G・ウェルズの〈宇宙戦争〉であろう。邦訳は戦前から出ているし映画も来たし、SFファンならずともかなりポピュラーな作品である。
 その次にくるのが、エドガー・ライス・バローズの〈火星シリーズ〉ではないかと思うのだが、このパローズという人の名前を知っている人は案外すくないかもしれない。
 〈ターザン〉の作者だといえば、ああそうかというだろうが、そのバローズの代表作に〈火星シリーズ〉あるいは〈ジョン・カーターもの〉というのがあって、ターザン同様ファンの人気をあつめているということもあまり知られていない。
 大正の末期に研究社から出ている「中学生」誌に邦訳が出ているが、それ以来ほとんど日本には紹介されていないのだから無理もないことであるとにかく波瀾万丈、その理屈ぬきの面白さといったらない。

 ……南北戦争の終結と共に南軍のジョン・カーター大尉は当然その地位をうしない、探鉱者としてアリゾナの山中を友人とふたり、さまよい歩く身になってしまう。様々な苦労の末に金鉱を姿見したのも束の間、インディアンにおそわれて友人は即死、彼もまた絶体絶命の危機に立たされてしまう。そのとき、彼はへんな気分におそわれるのだがハッとわれに返ると、これがなんと火星の上。いつの間にか彼は火星にテレポートされていたのである――。というのが〈火星シリーズ〉の第1作 A PRINCESS OF MARS の発端である。
 太古には満々と水をたたえ船の行き交った火星の海もいまや赤茶けた肌をさらし、火星人たちは工場から放出される空気によって生きている。火星には地球人そっくりの美男美女もいれば四本腕の巨人もいる。
 神話で火星というと戦争の神様ということになっているが、この火星人たちの戦争のすきなことといったら……。
 寿命は1000年程もあるというのに、病気で死ぬのはわずか1000人に1人くらい。そして1000人に20人くらいの割で人々はイス河の彼方の楽園があるといい伝えられる地方に巡礼に出るが、まだ帰ってきたものはひとりもいない。
 実は、ここに人食いの怪物が巣食っていて、第二作の中で、ジョン・カーターが退治するのだが、それはさておいて、あとの979人に至ってはひとりのこらず決闘や戦争で死ぬか、それとも火星に住む様々な怪物にやられるかだというのが実情(!)なのである。
 飛行後があるというのに、ライフル以外の飛び道具は一切つかわない。八本足の馬にうちまたがり、主として12メートルもある槍をふりまわして闘う。とにかく火星人たちの強いのなんの、数日間ぶっつづけに闘うなどというのはちっともめずらしくない。
 巨大な将棋盤をつくって戦士を駒代わりにならべて一騎打ち、勝ったほうの側が賞品の美女をわがものにできるというゲームなどもある。
 観念を具象化する能力をもつ豪傑がふたり、数百の美女が見守る赤い砂漠の中で静かに対決すると、突如としてあらわれる幻の軍勢数十万、双方秘術をつくして、これでもかこれでもかとばかりに展開される合戦の面白さは読みだしたらやめられない。
 この猛烈な豪傑ぞろいの火星人たちをいろいろとツケ狙っている火星の怪物どもというのがまたすさまじいのばかりである。
 ゴリラの倍ほどもある食肉性の白猿などは序の口。身長3メートル7、80センチ、顔はのっぺらぼうで体は青と白のブチ、だらりと象の鼻みたいにブラ下った触手の先に眼がある。そしておそろしい早さでふりまわすその巨大な尻尾でひっぱたかれようものなら、どんな石頭でもいちころでぺしゃんこになってしまう。これが第二巻に出てくる植物人間。
 かと思うと首のない人間(?)をテレパシーで操る生物だとか、火星人の脳をたくきんあつめて例の白猿に移殖し、此奴を使って令火星をのっとろうというフランケンシュタインまがいの怪物まであらわれるにいたっては、もう手のつけようがないといいたくなるほどの騒きなのである。
 こんな世界に、だしぬけに飛びこんでしまったジョン・カーターがいったいどんな風に彼等とわたりあい、友情を得、尊敬をかちとって行くか。ジョン・カーターを中心にくりひろげられる恋と冒険の数々については、やはり本編を読んでのおたのしみというわけだろう。

 エドガー・ライス・バローズは1875年にシカゴで生まれた。裕福だった彼の両親は、ちゃんとした教育を受けさせようとするが、南北戦争の際、南軍の少佐だった父の血をひいたのか根っからの兵隊好きで、なんとかして軍人になろうと未成年の頃から支那の陸軍に応募してことわられたり、ジエロニモ討伐に出動する第七騎兵隊にもぐり込んだはいいが、すぐ年齢がわかって追ン出されるやらで、その希望は第一次大戦まで実現しなかった。第一次大戦では陸軍少佐として勤務している。
 1900年に結婚した彼は三人の子をつくり、いくつかの事業をはじめたがすべて失敗し、セールスマン、カウボーイ、鉄道警官、探鉱者などを転々としてひどい苦労を重ねた。
 1910年、彼は35歳になっていたが、小さな薬屋で働きながら悶々の日を送っていた。ある日のこと、その店の広告をのせた雑誌に目を通していたバローズは、のっている小説のあまりのつまらなさにあきれてしまった。こんなものに金を払ってくれるのなら自分だって……というわけで、十三世紀のイギリスを舞台にした Outlaws of Torn という第一作を書くと早速オールストーリー誌の編集部に持ち込んでみた。これはあっけなくアウトになったが、それにもめげずに書いた"Under the Moons of Mars"は採用され1912年の2月号から連載がはじまったのだった。これがのちに A Princess of Mars と改題され今日に至る〈火星シリーズ〉の第一作なのである。
 これに力を得た彼がその年の秋に発表した作品こそ不朽の名作 Tarzan of the Apes で、爆発的な反響を呼び以後毎年1〜2編ずつ発表される作品は彼の人気をいやがうえにも高めることになった。
 彼が牧場を買ったカリフォルニアの小さな町はターザンの名をとってターザナと改名したほどである。〈ターザン〉〈火星シリーズ〉の他、金星を舞台にした〈金星シリーズ〉、地底の都市を舞台にした〈ペルシダー・シリーズ〉、その他いくつかのシリーズを次々に発表し、彼の地位は不動のものとなった。
 1930年代の末頃から彼はハワイに住み、1941年には真珠湾空襲を体験している。戦争がはじまったとき彼はもう66歳だったが、早速ロスアンゼルス・タイムスの特派員としてブーゲンビルからマリアナに至る作戦に参加した。もちろんアメリカ量年長の従軍記者である。何度か爆撃機に同乗して爆撃にも参加したというし、きっと機長がバローズファンだったのだろう。サイパンかどこかの基地で〈火星のプリンセス〉という名前のついたB29をバックにパイロットたちと撮った写真をみたことがあるので、ひょっとしたら日本本上の空襲にもやってきたのかもしれない。
 ノルマンディの上陸作戦に参加したアメリカのあるバローズファンが、
 「あの悪夢のような日々を自分が勇気をもって戦い抜くことができたのは、ジョン・カーターに負けないぞと、いつも自分にいい聞かせたからだった」
 と書いていたが、ちょうどその頃、ジョン・カーターの生みの親の御本尊もまた、第一線で弾丸の雨の中をくぐっていたというのは、いかにもバローズらしいし、しかもその従軍の経歴をジョン・カーターやターザンの作者であることよりもほこりにして、1950年3月の死の直前まで周囲の人々にいともたのしげに語っていたという逸話には、彼の面目がいかにも躍如としているではないか。
 
 〈火星シリーズ〉は長編が10編とのちに出た短編が5編ということになっているが、アーゴシー誌に連載されたきり単行本にならなかった作品もある。またのちに彼自身が改稿したものもあって正確には何編ときめにくい。
 また主人公もジョン・カーターだけではない。
 話が進むにつれてカーターの息子カルソリスや娘のタラなども登場し、第6作目では第一次大戦の連合軍側の陣地から火星ヘテレポートされてきた青年などもあらわれてくる。

 19世紀末から20世紀はじめの天文学では、火星の大気、気温、その他の測定や観測の結果などから、地球人そっくりの生物が火星に住んでいることの可能性は、もうはっきりと否定されていた。だからウェルズの〈宇宙戦争〉にしても、G・P・サービスの〈エジソンの火星征服〉にしても、そのあたりにひと工夫もふた工夫もこらされている。
 しかし、バローズはそれを承知のうえで、バローズ独自の火星をつくりあげたのである。
 ひところの“科学のオブラート”につつまれてはいるにしても、バローズの火星にくりひろげられる物語は、おどろおどろしく奇怪な世界を舞台にした大ロマン、大活劇だといえる。
 バローズのイマジネーションの振幅の大きさと語り口のうまさにはうならされるけど、もし今日いうところのSFのつもりで説むとしたら、かなりめんくらうことになるかもしれない。
 イギリスで国語の副教科書として使われているオックスフォードの Stories told & retold 叢書に3年ほど前この A Princess of Mars がはいり、ロビンソン・クルーソや二都物語と肩をならべることになった。
 これらをめぐってバローズの作品については、いろいろな議論があるが、ここではふれないことにする。
 「私は書くことによって自分の精神を破滅から救い、自らは決して経験することのできない世界での大冒険に読者をさそい込むことに成功したのあるである」
 というバローズの言葉だけを紹介しておこう。
 バローズの作品は、今日までに58カ国に訳され、その総部数は4000万部を上回っている。

 ちょっと話はとぶが、テレビタレントのリンダ・ビーチさんにキモ君とバキ君というふたりの息子さんがいる。
 ある日、彼等を相手にスポーツカーの話をふきまくって一目わかせたとき、話がたまたまSFに移った。ではここでもう一目いただきましょうと思ったところが、ふたりはすかさず目を輝かし、
 「うちのパパは、バローズの Martian Novels を全部初版でもってるんだよ」といったものである。
 どうも、これには小生あっさりカブトを脱いたのだが、小学生にしてからがこの通り、アメリカ人のバローズ熱の一端がうかがえるというものである。SFあるいはSFの周辺にある作家の中で特定のファンクループが結成されているのも、わたしの知るかぎりではバローズだけである。
 ミズリー州、カンサス・シティに本拠をおく〈バローズ・ビブリオファイル〉というグループだが、バローズの研究者でここに籍のない者はモグリだといわれるくらいの権威がある。
 バローズのビブリオグラフの中で、もっとも充実しているといわれるものをつくったH・H・ヘインズ、それよりは少しおちるが、なかなか特色のある本をつくったB・M・デイ、それからバローズの作品に関する評論類すべてのインデックスをつくったJ・ハーヴッドなどといった錚々たる連中は、みなこのグループのメンバーである。
 季刊の機関誌にはバローズの作品についての研究や評論など熱心なファンたちの労作がのせられているが、面白かったのは三、四年前に発表された火星の地図である。
 つまり〈火星シリーズ〉の文中に出てくる地名とか、その説明から帰納して、それを一枚の地図にまとめたものである。
 この地図によると、ジョン・カーターが飛びこんだ火星の王国ヘリウムは、日本にもたくさん地主がいる〈太陽の湖〉地方の南西部にあたっている。わたしも火星に上地を持っているが、ジョン・カーターはひょっとすると、わたしの地所の中で大合戦をやったのでは……などとあらぬ妄想になるのも、わたしがすでにだいぶバローズにイカレているからだろうか。
 それともうひとつ。……火星語辞典……
 今度でる邦訳では、どんな風にあつかわれるか知らないが、〈火星シリーズ〉の中には火星語がたくさんでてくる。
 たとえば、カオールが“今日は”、ソートとは八本足の火星馬、キャロットが犬、といった具合で、最初はややこしくて面倒だが少しなれると独特の世界ができてしまって、とても楽しくなってしまう。この辞典はその一助にとつくられたものである。
 機関誌の通信欄あたりで、そんな言葉が乱れとんでいるのはいうまでもない。

 アメリカの古本屋にSF雑誌が出ることはあっても、バローズの作品ののった号はまず絶対に手にはいらない。店にはいったとたんに、マニアたちが金に糸目をつけずに買ってしまうからである。戦前でたジョン・カーターのマンガ本が何十ドルという値段なのだから推して知るべし、おそるべきファンである。
 ここ数年、著作権の関係から英米のぺーパーバックでバローズの作品が続々刊行され、楽に手にはいるようになったのは読者にとって喜ばしいことである。それにくわえて、今度は創元推理文庫で完全な邦訳も出る。
 英語のできないわれわれファンにとってこのうえもないプレゼントである。しかし、この邦訳の刊行をいちばん喜んでいるのは、ひょっとするとバローズ・ビブリオファイルの連中かも知れない。
 なにしろ日本版の〈火星シリーズ〉などというものは、彼等にとって大変な珍品にちがいないからである。
 出たら早速、一揃いをビブリオファイルの親玉株のV・コリエルに送りつけて三拝九拝させてやろうと、いまから楽しみにしている。

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