講談社 火星シリーズ3『火星の大将軍』解説より
Mar.1967
エドガー=ライス=バローズの<火星シリーズ>が、すきですきでしかたがない――という人たちは世界じゅうにたくさんいます。
火星のお姫さま、デジャー=ソリスは、きっとこんな顔をしてたにちがいない――と、デジャー=ソリスの絵をたくさんかいて、画集をだした人や、<火星シリーズ>の十一さつをすみからすみまでひっくりかえして、ジョン=カーターやタルス=タルカスが、火星のどのあたりでかつやくしたかをしめす、くわしい地図をこしらえた人もあります。
そんな人たちがあつまって、一年に四回のわりで雑誌を出していますが、そこにこんなことをかいている人がありました。
「ぼくは、第二次世界大戦のとき、アメリカ軍の兵士として、フランスのノルマンジー上陸作戦にくわわりました。毎日毎日がものすごい戦闘の連続で、なかまたちは、ぼくの見ている前でばたばたと死んでいきます。あまりのおそろしさに、気がくるってしまうなかまもありました。
そんなむかで、ぼくはいつもじぶんにいいきかせたのです。
――しっかりしろよ。ジョン=カーターにわらわれるような、いくじのないことはするな。――
そして、なにかむずかしいことにぶつかって、どうしてよいかわからなくなると、
――もし、ジョン=カーターだったら、こんなときにはどうするだろうな。――
と考えました。
すると、ふしぎなことに、いつも、すばらしいちえがわいてくるのでした。
たまがあたってひどいきずをうけたなかまをかついで、何十キロもさきにある病院まで歩いたのも、ジョン=カーターなら、きっとこうするにちがいないと思ったからやったのです。
ぼくが兵士としてのつとめをはたすことができたのは、ほんとうにジョン=カーターのおかげだと思います。」
なにも戦争のときばかりではありません。みなさんだって、なにか、むずかしいことにぶつかったとき、正しいことのために勇気が必要になったとき、ジョン=カーターのことを考えてごらんなさい。――ジョン=カーターだったらどうするだろう――そしたら、きっといいちえや、あたらしい勇気がわいてくるでしょう。そして、男の子として、りっぱにそのできごとをかたづけてください。
エドガー=ライス=バローズは、もう死んでしまいましたけれど、それでも、これでぼくは<火星シリーズ>をかいたかいがあったとよろこんでくれるにちがいありません。
comment
講談社版第2巻のの解説文全文収録です。
野田氏の解説に再三登場するエピソードで、いささか食傷気味の感もありますが、発表当時はそうなんだーという感じで読まれたのでしょう。
こういう文を読むと、野田氏は戦中派なんだなあと思ってしまいます。まあいいけれど。