ERB評論集 Criticsisms for ERB


小笠原豊樹「迫真的な荒唐無稽」

角川文庫火星の女神イサス解説より

31 Oct.1967


 本書「火星の女神イサス」 The Gods of Mars はE・R・バローズの有名な「火星シリーズ」の第二作にあたり、前作「火星のプリンセス」の続篇である。この小説は前作と同じく1913年に「オール・ストーリー・マガジン」に連載され、1918年に単行本としてまとめられた。作者エドガー・ラィス・バローズ Edgar Rice Burroughs とその「火星シリーズ」については、「火星のプリンセス」のあとがぎに述べた通りであるが、かいつまんで繰返せば――バローズは1875年にシカゴで生まれ、75歳で亡くなるまでに、あの有名な「ターザン・シリーズ」や、この「火星シリーズ」、その他さまざまの空想科学小説や冒険小説など全部で60冊あまりの本を書いた異色の大衆作家である。なかでもこの「火星シリーズ」はスペース・オペラと呼ばれる宇宙冒険活劇物語の先駆として現在ますます高い評価を得ている。
 本書で初めて「火星シリーズ」を知った方のために、前作「火星のプリンセス」の内容を御紹介しよう。主人公ジョン・カーターはもと南軍の職業軍人であったが、南北戦争後アリゾナ州へ金鉱探しにでかけてインディアンの狂暴な部族に襲われ、逃げこんだ岩山の洞窟のなかで白分の分裂あるいは再生という奇妙な事態を経験する。そしてぬけがらのような白分の死体を洞窟に残したまま、新しく生まれ変ったカーターは、ふしぎな力でさしまねく戦いの星、火星にむかって、あこがれの念力で飛んでゆく。カーターが到着した火星(火星語ではパルスーム)は、緑色人と赤色人とが澗れた海のほとりのそれぞれの廃都に割拠し、異民族間のみか同じ民族の部族のあいだでも血なまぐさい争いの絶えない弱肉強食の残酷な世界であった。カーターは初め緑色人の捕虜になるが、まもなく武勇の力によって緑色人部族の幹部に昇進し、囚われの赤色人の王女デジャー・ソリスに恋して、その苦難を救うべく縦横に活躍し、遂に緑色人と赤色人の和解を成立させる。そしてデジャー・ソリスと結婚した主人公は、タルドス・モルス家という赤色人の皇室の王子として9年間火星にとどまり、救世の英雄として火星人たちに慕われるけれども、ある日、もともと大気の希薄な火星全上に人造の大気を供給していた工場のエンジンが停止するという非常事態が発生し、工場の雇を開く鍵を握っていた力ーターは急いで現場に駆けつけ、扉を開きかけたところで呼吸困難になり気を失う。意識が回復すると、そこはアリゾナの洞窟で、カーターは自分のぬけがらと再び合体していたのである。
 さて、闘争に明け暮れる緑色人や赤色人たちの唯一の希望は、天寿を全うしてイスと呼ばれる川へ死出の旅に立ち、その奥の奥にあるこの世の楽園にたどり着くことであった。本書「火星の女神イサス」は、最愛の妻デジャー・ソリスの身を案じつつ地球で10年をすごしたジヨン・カーターが、再び火墨へ飛来し、イス川が流れこむコルスの海のほとりに下り立つところから始まる。そこはこの世の楽園どころか、前作以上に怪奇でグロテスクな生物が蝟集する地獄さながらの場所なのである、その地獄のなかへ突入して行くジヨン・力ーターが、火星人たちの信仰が一つ一つ崩れ去っていくさまを目撃し、天国すなわち地獄の奥のどんづまりまで、この性のヒエラルキ
ーに徹底的に支配されていることを確認するくだりは、この第2作のなかでも興昧津々たる部分であろう。長年にわたる火星人たちの迷信は、ちょうど玉ネギの皮を剥ぐように一枚一枚と失われていき、その最後の一枚を剥いで幻滅の極致に達するところが、すなわち女神イサスとの対決である。「火星のプリンセス」では、処女作のためかややためらいがちに見えた作者の筆は、この第2作に入って俄然なめらかに動き始め、物語の運びといい、全体の構成の緊密さといい、驚くほどの完成度を示している。この「火星の女神イサス」は「火星シリーズ」の第一の高峰といえるだろう。およそ世の物語作者を支える情熱にはいろいろ種類があるだろうが、そのなかで最も強い情熱の一つ――偶像破壌の惜熱にこのバローズも憑かれていたに相違ないのである。
 想像力の奔放な展開という点でも、この作品は前作に優るとも劣らぬ出来栄えを見せる。たとえば黒色人がこの遊星の生命の起源について語る部分を読み返していただきたい(第七章)。ダーウィンの「種の起源」が発表されたのはこの小説が書かれる五十年前のことである。進化論と植物学と中世的な神学とをまぜあわせたようなこの奇妙な「生命の木」は、一体どんなプロセスを経て作者の頭脳に宿ったのやら、ちょっと見当もつかないほど精密詳細に描かれている。が、興味深いのは黒色人種が火星では一番古くかつ純粋な民族だとされている点である。これはアメリカ南部系の作者のニグロ・コンプレックスの現われと見ることもできよう。この例にとどまらず、パローズの想像力の展開は意外にリアリスティックな事物や形象にもとづいている場合が多い。そこから叙述の力強さが生じ、妙な言い方だが迫真的な荒唐無稽が創り出されるのである。


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