吉岡平『金星のZ旗 あとがき』
ソノラマ文庫刊『金星のZ旗』あとがきより
31 Oct.2004
大新聞で予告した以上、バローズ・リスペクト・シリーズの第二弾は速やかに書かれねばならなかった。舞台は、『火星の土方歳三』のバルスームから変わって、金星。そう、アムターである。
しかし、心配した知人から何本かメールをいただいた。
「そんな金星シリーズみたいなマイナーな作品をネタにして、大丈夫か?」
マイナー? 果たしてそうだろうか。そりゃあ、火星シリーズでさえ、予想外に読んでいた人が少ないと知って、かえって驚いたくらいだが……。中には堂々と「読んでないけど悪いか」と開き直る人も大勢いて……。あのねえ、自分が知らないことを恥と思わない風潮って、本当にそれでいいと思ってる? 例えば私の若い頃は、『超重力の使命』を読んでいないとはどうしても言えない雰囲気で、その場では必死に口裏合わせて、帰りに買って、必死こいて読んだものだけどなあ……。最近のSF者(死語か?)は、読書量が少ないことを誇るのか? あるいは専門ジャンルが狭いほど偉いことになったのか?
それはまあさておき、金星シリーズがもはやマイナーになったのか? 信じられん。例えば私の手許にある『金星の海賊』は、初版が一九六七年で、八三年には二十九版となってるぞ。こんなロングセラー、私は書きたくても、よう書きまへん。
金星シリーズは、バローズの作品の中では火星シリーズよりマイナーで、評価もさほど芳しくないというのが『定評』である。しかし、好き嫌いからいえば、私は断然こっちである。なぜか、理由は単純明快。陸上戦艦が出てくるからである。故に、最初に金星シリーズを手にした日付もはっきりしている。一九七四年の十月だ。どうだ、わかりやすいだろう(わからんという人には、某アュメの初回放映日直後だとだけ言っておく)。しかもいきなり第四巻の『金星の火の女神』から読んだのだ。普通は一巻から読むが、貧乏中学生には全巻買うほどの金はなかったのね。そこに出てくるランタールの勇姿と陸上艦隊決戦という凄まじいアイデアは、もう似非軍国少年の度肝を技いたね。とくに三輪魚雷にはやられましたよ。これ、是非、映像化してほしいです。ハリウッド資本で。当然、カースン・ネーピアはべン・アフレックで。そう、最近、失墜著しい彼の起死回生の一発として、ネーピアくらいのハマリ役はないと断言できます。え、おバカすぎる? 大丈夫です、ネーピアくんも十分におバカだから……。でもってドゥアーレー役は、チャン・ツィイーだ!
もう、金星シリーズのことになるといくらでも書けます。実際、『火星の土方歳三』よりも先に、こっちを書きたかったくらいですもん。でもさすがに、商売としては成り立たないくらいの分別はありました。そこでまず『火星』を出してみて、でもって朝日新聞から取材受けたのを機に「実は続編の企画がありまして……」と、打ち明けてみた。幸いにして、こうして出版できる運びとはなりました。ホント、感謝してます。
執筆に当たって、改めて原典である『金星シリーズ』を引っ張り出して再読しました。でもって「ええ〜、こんなにツッコミどころ満載だったっけ?」というのが正直な感想。バローズ先生、さすが老境に入られただけあって、省くところはムチャクチャ省いています。というか、書きたいところは思い切り入念に書き込んで、でもって興味のないところは思い切って省略。中坊の頃にはわからなかったけど、こりゃあどう考えても露骨な手抜きだな−というのは、自分が同じ立場になってみると実によくわかるもんです。しかしその点、隠そうとすらしていないのは漢らしいというか、大家の余裕というか……。きっと当時のファンも、笑って許してくれたんでしょうね。「しょうがねえなあ、バローズ大先生も……」ってな感じで。いい時代だ。
バローズ先生が何を措いても描きたいのは、まず『アフターマン』ばりの異生物、それからチャンバラ。あとはお座なりというか……美女は好きなんですが、潔癖というか性的な描写は皆無で、また美女も類型的です。顔は無個性な美人ばかり。「取り敢えずお約束だから出したぞ」ってのが見えミエで、ある種とても共感できます。とても他人とは思えないというか……。おおむね、その趣向には拍手喝采なんですが、同時に「こりゃもう、暴走だな」と苦笑してしまうことも再三です。
例えば、露骨を通り越して「ネタですか?」と言いたいくらいの社会風刺。第一巻では露骨な共産主義批判(アカ嫌いだったのね)、さらに第三巻『金星の独裁者』では、さらに露骨なナチス批判(しかし、出版されたのが一九三九年ということを考慮すれば、大西洋を挟んでいるとはいえ勇気がある)。ここまで戯画化されていれば、なんぼ空想科学小説でもヒトラーは激怒したのでは? ある意味チャップリンよりも痛烈です。
そんなわけで、こちらも少々あざとく、金星シリーズのバロディである以上はと、露骨に某国を批判してみました(笑)。
それから、バローズ読者の間では有名な『美女を挟んで両虎共倒れの法則』。これはつまり、こっちから怪物Aに追われて逃げてくる美女が、怪物Bに遭遇して絶体絶命。まさに前門の虎、後門の狼状態。なのに怪物二頭は美女そっちのけで闘争を始め、結果相討ち。美女は辛くも虎口を脱する−という例のパターン。というわけで、私もさっそく、そのエッセンスを取り入れてみました。バンス対サーバンの対決は、バローズファンなら一度は見たい夢の対決だと思うのですが、いかがでしょうか?
法則といえば『牢屋は千載一遇の宝庫』というのも、バローズ作品には顕著な法則。いかなジョン・カーターといえども時には武運拙く敵の手に落ちるわけですが、投獄されれば必ず、凄い偶然の一致でそれまで捜しても見つからなかった人物に巡り会ったり、どうしてもわからなかった敵の弱点を知る人物に遭遇したりと(そんな奴と主人公を同じ房に投獄すんなよ!)、まさに投獄されてもただでは逃げないんですね。だからバローズのスレた読者は、「主人公が捕まった。ああ、解決も近いな」と思ってしまうんですが……。とにかく、敵がおバカというか、人がいいんですよバローズ作品は。
しかし、極めつけはこれでしょう。『伏線なしの超偶然』。
敢えて作品名は伏せますが、主人公が特殊加工で見えない飛行艇に乗って活躍する話。ある時、主人公は、その見えない飛行艇を奪われてしまうんです。で、ヒロインとともに大勢の敵に追われた主人公が、奮戦するも多勢に無勢で丘の上に追い詰められ、いよいよ玉砕か──という場面。
主人公がひょいと手を伸ばしてみると、そこにあったんですよ。見えない飛行艇が。なんの前置きもなく!
私はこのシーンを読んだ直後、三十分は笑いが止まりませんでした。そして「この手があったか!」と叫んだのです。「こんなこともあろうかと……」どころではない偶然。まったく、世の物書きはこんな御都合主義を回避すべく、日夜、頭を絞っているというのに……。これが許されるのなら、なんでもありです!
しかし、そんな大らかなバローズ作品を読んでいると、読者としては頭にきても、作者としては「いいなあ」と、勇気付けられることも事実で……。白状すると、そのいい加減さが好きなんです。
『金星のZ旗』のラストシーンは、実は『火星の土方歳三』で書こうと思っていたラストなのです。ちょっとあの作品にはそぐわないので、削ってしまったのですが、この作品のトーンにはマッチしていると思い、復活させました。
こうしてペルシダーに取り残された秋山真之を、土方歳三が救出にいく──という第三弾が書けたらいいですねえ。題して『新選組の世界ペルシダー』。あ、こんなこと書いてると、また墓穴を掘るか……。
くわばらくわばら。
著者
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超出来のいいファンフィクションの一冊、というのは、このあとがきからでもわかるでしょう。未読の方は幸せですよ。