集英社 ジュニア版世界のSF『火星のプリンセス』
この小説は、エドガー・ライス・バロウズの有名な《火星シリーズ》の第一冊めです。
もともとSFは、フランスのジュール・ベルヌや、イギリスのH・G・ウエルズが書きだしたことでもわかるように、アメリカではそんなにさかんな分野ではありませんでした。
もちろん、アメリカには、『黒猫』や『アッシヤー宗の没落』で有名な、エドガー・アラン・ポーがいます。そしてSFの開祖はだれかといえば、ベルヌでもなく、ウエルズでもなく、ポーがその栄誉をになうことにまちがいありません。
しかしポーのあと、そのあとをつぐものがなく、ヨーロッパにはるかにおくれていたアメリカのSF界に、現在のような開花をもたらしたのが、この本の著者、エドガー・ライス・バロウズであり、ここに紹介した『火星のプリンセス』なのです。
1911年、アメリカの雑誌『オール・ストーリー・マガジン』に、無名の37歳の男が、長編小説をもちこみました。
この小説を読んだひととおなじように、その雑誌の編集部は、筋の奇抜さ、さいごまでどう筋が展開していくかわからない意外さ、それからなによりも、火星を舞台にしていることに、びっくりするとどうじに感心しました。
その小説の題は、『火星の月の下で』というものでした。これは翌年の1912年2月号から連載をはじめましたが、SFのおもしろさのわからなかった多くのひとまでを、熱狂させました。のちに1917年、本として出版されるとき、『火星のプリンセス』とあらためられたのです。
とにかく、すばらしい評判に力をえて、バロウズはつぎからつぎと、火星を舞台にし、本編の主人公ジョン・カーターが活躍する作品を発表しました。これらは、全10巻の単行本にまとめられ、世界じゅうのひとに愛読されています。
このエドガー・ライス・バロウズは、1875年、シカゴに生まれました。
バロウズの父は、この本の主人公ジョン・カーターとおなじように、アメリカの南北戦争当時、南軍の将校でした。その血をうけたせいか、それとも小さいとき、おとうさんのいさましい話をいつもきかされたせいか、軍人が大すきで、大きくなったら軍人になるというのが、少年バロウズの夢でした。
でもその夢ははたせませんでした。1900年には結婚して、3人の子どもをえましたが、生活のほうはたいへんで、カウボーイをやったり、鉄道警官をやったり、会計係をやったりして、転てんと職業をかえなければならなかったのです。さきにいったように、1911年、かれの書いた作品がみとめられるまで、そういった苦しい生活の日びだったようです。
だが、バロウズには、夢がありました。いや、夢をもちつづけたのです。そして、じっさいの社会ではたせなかった夢を、小説のなかで実現させたのです。
このようなバロウズですから、小説家として書斎にとじこもることなんか、大きらいです。第一次世界大戦がはじまると、やっと少年のときからののぞみをはたし、陸軍少佐として、戦いにくわわりました。
また第二次世界大戦がはじまると、66歳だというのに、じぶんからすすんで軍隊にはいり、B29にのって、太平洋の島じまの爆撃に参加したというのですから、たいへんなおじいさんです。
このバロウズには、《火星シリーズ》のほかに、有名な《ターザン・シリーズ》23冊があります。さらに金星や月や地球内部を舞台にしたSF、ミステリー、ウエスタン、冒険小説など、あらゆる娯楽分野で活躍し、ぜんぶで60冊以上の長・短編を発表しています。
いってみれば、アメリカのデューマ、ドイルであり、日本の吉川英治みたいに、国民のあらゆる層に人気のあった作家といえます。
バロウズは、1950年3月、75歳でなくなりましたが、そのときは、アメリカはもちろんのこと、世界じゅうのバロウズのファンがかなしみました。
いまでもそのバロウズをおしんで、世界じゅうのファンが、クラブを結成して、機関誌をだしているぐらいですから、その人気がわかろうというものです。
このバロウズが、《火星シリーズ》で書いたSFのことを、いっばんにはスペース・オペラ(宇宙活劇)といっています。西部活劇みたいに、すばらしく強く、情にもろく、信義にあつい主人公が、悪ものをこらしめ、かれんな美女をすくって、大活躍するからです。ただ、それが宇宙を舞台にしている点が、西部活劇とちがうのです。
このスぺース・オぺラは、バロウズが書いたことにより、アメリカでさかんになり、多くの作家があとにつづきました。本シリーズの『銀河パトロール隊』(ジュニア版世界のSF第11巻に収録)も、そのなかの傑作のひとつです。
そして、このスぺース・オぺラの刺激を少年時代にうけた作家たちが、現在のアメリカのSFの主流となるのです。その意味からいっても、バロウズの作品、とくにこの《火星シリーズ》は、アメリカのSF史上、見のがすことができないものです。
この小説でもうひとつ、説明しておきたいことがあります。
それは、ジョン・カーターが、どうやって火星にいったかということです。あのように精神の力で、空間をいっしゅんのうちに移動することを、SFでは、テレポーテーションといい、ひとつの超能力だと考えています。
そして、人間はだんだんに、もっとすぐれた能力を身につけていき、やがては、テレポーテーションも自由につかいこなすときがくることを予想しています。たしかに、そんな超能力をもてたら、じぶんのすきなところに自由自在にいけるのですから、こんなすばらしいことはないと思います。
いずれにせよ、この『火星のプリンセス』は、SFがすきでないひとにも、科学に弱いからとしりごみするひとにも、文句なくおもしろく読める小説です。主人公のジョン・カーターこそ、現代の人間が失いかけている男らしさの象徴ともいえるからでしょう。
1969年12月20日
内田 庶
comment
集英社版の解説というか、まえがきからの転載。巻頭にあるからまえがきなのだと思うが、巻末の解説は「火星の生物」をテーマにしたコラム的な文章なので、作品解説としては巻頭の今回転載した文章を読むべきだろう。もと早川書房の編集者らしく、SFの歴史を解説してある部分はしっかりしているが、バローズ解説は野田さんあたりからの受け売りになっていて、オリジナリティは薄い。とはいえ、解説としてはよくかけているというか、頑張って書いている気のする一文である。
しいて言うなら、最後の段落がかなり苦し紛れか。あのテレポーテーションというか、気が付いたら火星に飛んでいた、という部分は、どう見てもSFではない。子供向け叢書への良心として、なんとか補足しようとしているのだと思うが──冒頭のSFの歴史は、この部分への布石かな?──SF前史の作品であると、率直に述べられたら楽だったのだと思う。この時代の解説者は大変だった、というところか。