ERB評論集 Criticsisms for ERB


高橋豊「ターザン物語のスタイル」

ハヤカワ文庫特別版SF無敵王ターザン解説より


 ターザン物語がはじめて映画化されたのは1918年だが、やがて名優ジョニー・ワイズミラーの登場などによって映画がヒットするにつれて、バロウズの小説技法そのものにも大きな変化が生まれた。そのもっとも顕著な面は、構成や描写に映画的手法がとりいれられるようになったことだ。
 それは、かれが作品の映画化を意識して脚色しやすいように書いたのではなく、ヘミングウェイやフィッツジェラルドやフォークナーなどの若い作家が輩出して、ユニークな文体によって新しいアメリカ文学を生み出した一九二○年代の大きな流れが、大衆作家バロウズにも影響を与えたのだと見るべきであろう。
 自我流で書きはじめたかれの初期の作品の古めかしくて難渋な語りロは、不器用にごてごてと泥絵具を塗りたくるような作風であった同時代のドライサーの『アリメカの悲劇』に似てやぼったくて、翻訳するのにひどく苦労させられたが、この『無敵王ターザン』の小説技法はそれに比べるとかなり洗練されている。その一つは、ようやくこのころになってかれ独自の文体ができあがり、生きいきとした、力量感のはりつめた文体になってきたことだ。とくに映画的手法による大胆な場面の切り替えは、めざましい変化で、当時としては斬新な手法であったし、それによってストーリー・テラーとしてのバロウズの本領が充分に発揮されるょうになったのである。
 ついでにいえば、ターザン物語にはもともと一つの定型があった。それは、登場人物がいくつかのグループに分れていて、それぞれのグループが異なった動機で行動し、ときにはたがいに衝突し、ときにはすれ違いながら、スリルやサスペンスを盛りあげていくのである。そして、それぞれのグループの性格や背景の世界が奇想天外で、きわめて斬新で、ときには神秘と幻想の霊気をおびているところに、ターザン物語の特色があるといえよう。
 この型は、『恐怖王ターザン』以後の作品にはっきりとして形をとって現われていて、本書の場合は三つのグループが登場する。一つは、世界革命をめざして多くの国からアフリカに集まってきた共産主義の地下活動家たち。第二は美女ラーに象徴される伝説の都オパルの集団。第三はジャングルの王者ダーザンとその部下の集団である。
 それにしても、世界革命などといういささか場違いな感じのするモチーフが、どうしてターザン物語に登場したのだろうかと、とまどわれる読者が多いのではないかと思うので、その点について少しふれておこう。
 バロウズがこの作品をオ―ル・ストーリーズ誌に連載しはじめたのは1930年で、この時期は、狂乱的な大恐慌が世界経済を破綻させ、アメリカでは失業者が1600万人を越え、毎日各地で百万人がストライキをしているという、たいへんな社会危機のさなかだった。そして社会主義的な思潮が世界を風靡し、日本で「プロレタリア文学」がもてはやされたのと同じような惰況が、アメリカでも発生していたのである。
 アプトン・シンクレア、マイケル・ゴールド、フロイド・デルなどの左翼文学がさかんに読まれ、「プロレタリア文学」という言葉がアメリカでも愛用された。一九三二年の大統領選挙では、アメリカ共産党がW・Z・フォースターを出馬させ、それを後援する文学家組織が作られて、多数の著名な作家や評論家が参加した。このようにして、知識人の大多数が社会主義に傾斜した、まさに「急進(ラジカル)派の季節」であった。
 しかし、当時のアメリカ左翼内部の分派抗争は激烈をきわめ、同じコミュニストでもスターリン万歳派、トロツキスト、右派らが三つどもえの内ゲバ騒ぎを演じ、社会主義者たちの間でも分派が入り乱れて物情騒然たるありさまだった。
 三十代半ばまでの「進歩の時代」に、シカゴで自活の道を求めて職業を転々と変え、貧乏にあえいだバロウズは、「私は貧乏を心から憎む。貧乏は無能力の証明以外のなにものでない」と告白している。この人生観は、まさしく個人資本主義の基底となったプロテスタント倫埋であり、自由と機会の平等を標榜したアメリカ的信条である。
 もちろん、このような告白の言葉じりをとらえて、かれがアリメカの神話の信奉者であったと判断するのは性急すぎるだろう。しかし、かれの伝記などを見ても、一九三○年代初期の「急進派の季節」が、かれの目にどう映ったかれぼぼ想像できる。大恐慌は資本主義経済社会の病根を露呈し、多くの深刻な問題を投げた時期ではあったが、同じこの激烈な社会不安は、いかさまなコミュニストや社会主義活動家が狂態をさらした時期でもあったのだ。
 バロウズが多少カリカチュアされた革命活動家の集団をこの作品に登場させた動機は、そんなところにあったろうと思われる。したがって、かれがアフリカの「生命と自由と幸福の追求」のために この集団を潰, 滅させたのは、まことに当然のことであった。


ホームページへ | 評論集へ