ERB評論集 Criticsisms for ERB


野田昌宏「地球の底のなぞを求めて」

あかね書房少年少女世界SF文学全集地底世界ペルシダー解説より

15 Dec.1971


小説にえがかれた地底世界

 板子一枚、下は地獄――ということばを、きみは知っていますか?
 これは、きみが船に乗ってのんびりかまえていても、もしその船の底板一枚がやぶけたならその下には、おそろしく危険な海がまちかまえているんだぞ……という意味です。もちろんそれは、海だけのことではありません。ぼくたちが立っているこの大地だってそうです。しかも船の上なら、その下にあるのは海だとわがっていますが、ぼくたちの足の下はどうなっているのか――これは、まったくわからないのだといってもよいくらいなのです。
 地球の直径は1万2740キロメートル。それに対して、これまでにほられた井戸のいちばん深いものでも、わずかに7.7キロメートルしかないという事実を考えてみただけでもわかっていただけるでしょう。
 ぼくたちが立っている大地――何百階だてものビルがたち、新幹線のレールが走り、高速道路がのび、なにがきたってびくともしないように見える大地も、じつは地かくとよばれる、厚いところで35キロ、うすいところではたった5キロしかない皮にすぎないのです。
 直径1万2000キロの地球の皮の厚さが、たったの5キロというのです。地球をスイカにたとえたら、その皮のいちばん上の緑色の部分くらいしがありません。……板子一枚どころではありません。
 もちろん、その下にはマントル層とよばれる厚さ3000キロほどの層があり、その下に核と呼ばれる部分があることはわかっています。そして、地かくとマントル層とのさかい目にあるモホロヴィッチ不連続面にまでたっする井戸をつくろうという、「モホール計画」が進んでいます。地球の内部はどうなっているのか、それは、これからだんだんと明らかにされていくことでしょう。
 しかし、いまでさえやっとそのくらいしかわかっていない地球の内部です。いまから50年前、100年前、200年前はいうまでもありません。ですから、いったい、地球の内部はどうなっているのだろう……という疑問は、むかしから、人々にさまざまな夢をいだかせるもとになりました。そして、地球の内部はがらんどうになっていて、その中心にもうひとつの太陽がかがやいているのではあるまいか――という考えをいだいた学者は、むかしからたくさんあったのです。
 いちばん有名なのは、イギリスの天文学者エドマンド・ハレーでしょう。ハレーといえば、みなさんはすぐ「ハレーすい星」を思い出すことでしょうが、そのハレーすい星の発見者として知られているエドマンド・ハレーです。かれは、いまから300年以上もむかし、1692年に、この説を発表しました。かれの考えは、いつも北を正しくさすはずの磁石が、じつは、場所や時間によって微妙に変化するその原因を考えているうちに思いついたもので、第1図のように、地球は三枚のカラからできていて、その中心に高熱を出す物質――つまり太陽があるというのです。そして、その3枚のカラはそれぞれがべつの動き方をしていて、そのため、磁石の方位に微妙なくいちがいがあらわれるのではないかと、考えたのでした。
 それから十年後には、スコットランドの物理学者J・レスリーがやはり、同じような考えを発表しました。これが第2図です。かれの説によりますと、地球のカラは一枚だけですが、そのかわり、内部には大陽がふたつあるのだそうです。

 地球がらんどう説については、このほかにもいろいろとあるのですが、なかでもいちばんおもしろいのは、アメリカのJ・C・シムズという人の説でしょう。
 第3図を見てください。
 J・C・シムズによりますと、地球のカラは5枚あるのだそうです。そして、おもしろいのは、その北極と南極には、直径が数千キロもある大きな穴がぽっかりとあいているというのです。そして、たとえば北極のばあい、第1のカラ――地球の表面――つまり、ぼくたちの住んでいる部分の北極は海ですが、この海が、そのまま第1のカラの裏側にまでつづいていて、魚なんかは平気で出入りしているというのです! おもしろい考えだと思いませんか? これはいまから150年ほどむかし、1818年のことです。そのころは、まだ北極探検なども行なわれていなかったし、やっとのことで、アラスカとシベリアの間にベーリング海峡というのがあって、陛つづきではないことがわかったくらいのものですから、このJ・C・シムズの考えはは、たいへんな反響をひきおこすことになったのでした。
 なかでも、いちばん興味を示したのは当時のロシア皇帝でした。むりもありません。そのころ、シベリアはもちろんのこと、いまではアメリカ領になっているアラスカもロシアの領土だったのですから、ひょっとして、J・C・シムズのいう大穴は、シベリアかアラスカのどこかに、ぱっくりと大きくあいているのかもしれないのです。もしもそうだとすると、第1のカラの裏側は、シベリアかアラスカと陸つづきということになり、ぜんぶがロシアの領土になるからです。
 ロシア皇帝は、さっそくJ・C・シムズに手紙を書き、資金はいくらでも出すから、ぜひともその大穴を発見するための探検隊の隊長になってくれと申し入れたのでした。シムズは、この手紙にたいへんよろこび、さっそく準備にかかったのですが、おしいことに病気にかかり、それから2年後には、その探検の夢をみのらすこともなしに死んでしまったのでした。
 シムズは死んでしまいましたが、地底にある第2・第3のカラ――つまり、第2・第3の地球へいくことのできる大きな穴が、地球の表面(いちばん外側の地球というべきでしょうか)にぽっかりとあいているという考えは、その後も、たいへん興味をもたれました。
 二十世紀にはいって、北極探検や南極探検が行なわれ、そんな大穴があいていないことははっきりしてしまったのですが、じつは、いまでも、その大穴はたしかにあるといっている人があるのです。アメリカのレイモノド・バーナード博士という人なのですが、この人の研究報告によると、有名なバード少将――南極探検で有名なあのバード少将です――は、1956年、乗っていたアメリカ空軍のC131輸送機もろとも、この穴の中へまよいこんだことがあるのだそうです! そしてなぜ、そんな大事件が発表されないのかといいますと、あまりにもたいへんな発見なので、アメリカ空軍が秘密にしているのだというのです。
 その報告書を読んでみますと、バード少将が深い雲の中を飛行中に南極のま上を通過したため、磁石がきかなくなり、あわや遭難! ということになりかけたのを、バーナード博士がそんなふうにこじつけているように思えます。そして、さらにおもしろいのは、“空とぶ円盤”の基地が、この大穴の中につくられているのだと博士ががんばっていることです。

 地球の中ががらんどうで、そこにもうひとつの世界がある、という考えをもとにした小説はたくさんありますが、もっとも古いもののひとつと考えられているのは、1742年にホルベルクという人の書いた『地底世界への旅』でしょう。これは、クリミウスという名の主人公がどう穴の中で足をふみはずして深い穴へ落っこちたところが、すっぽりと地底世界の空へ出てしまい、太陽のまわりをまわる惑星の人工衛星になって、三日間もぐるぐるとその惑星のまわりをまわるはめになります。そして、奇怪な鳥につかまり、そのナザールという名の惑星につれていかれます。
 このへんは、ちょっとややこしいので、第四図を見てください。このナザールという惑星の世界は、地球とすべてあべこべで、お金持ちは相手にされず、頭のよいやつはばかにされ、家事は男がぜんぶかたづげ、病人は刑務所にぶちこまれ、悪党は病院に入れられる……。クリミウスは、この世界でくらすのですが、そのうちに、例の鳥をつかって、この惑星ナザールの天頂(第四図でよく考えてみてください)の世界――ぼくたちの住む地球の裏側にいってみます。ところが、ここはサルの世界で……、といったおかしな話です。
 地底世界をあつかった古い話で、いちばん有名なのはこの話でしょうが、みなさんは、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』のことを思い出したのではありませんか?
 ただし、この『地底旅行』に出てくる地底世界は、――地球はうすい皮でできており、その中はがらんどうになっていて、もうひとつ太陽がある……というのではなく、地底の岩の中の大きなすき間みたいなところに海があったり、生物がいたりというような形で、それも地底ので大腸に照らし出されるというのではなく、けい光をはなつ岩によって、照らされている…といった話です。さきほど紹介したJ・C・シムス白身も、この大穴から地底世界へとはいっていく小説を書いています。これは、シムスの説のとりこになった主人公が、アザラシ狩りにいくといって集めた船員たちとともに、大型の汽船に乗ったまま地底世界へはいっていくというものですが、地底世界に住んでいるのは、たいへんおだやかで親切な人ばかりです。
 そのほか、このJ・C・シムスの説にえいきょうされた話はたくさんあります。『黄金虫』や『黒猫』などで、みなさんもよくごぞんじのエドガー・アラン・ポーの『ゴードン・ピムの冒険』という話は、完成しないままでおわっていますが、どうも、この大穴のほうへむかって流されているようなところが、その最後になっています。
 そして、このエドガー・ライス・バローズの『地底世界ペルシダー』もまた、じつは、この大穴説をもとにして書かれたのです。
 この小説は、じつは、エドガー・ライス・パローズの書いた『ペルシダー・シリーズ』とよばれている十編の作品のうちの第一作めなのです。そのおわりは、主人公のデヴィッドとペリーじいさんが、鉄モグラで地上にもどろうとするところでしたね。
 ところが、地上にもどっていったところ、鉄モグラの中に、あの羽のはえたトカゲの化けものマハール族が一匹まぎれこんでいて…というのが第2作『危機のペルシダー』のはじまりというわけで、この地底世界ペルシダーを舞台とする、デヴィッド、ペリー、そして、うつくしい娘ダイアン、毛むくじゃらのカーク、強いダコールなどの大冒険は、えんえんとつづくわげです。
 そして、第4作めでは、ついにマハール族に生げどりにされてしまったデヴィッドを助けるために、なんと、あのターザンがペルシダーにのりこんでくるのです!
 デヴィッドがピンチにおちいったとき、もちろん鉄モグラは地底にあり、ターザンをむかえにいくわけにもいきません。特殊な無線機でその知らせを受けたターザンは、飛行船201号にのって、北極の大穴から地底世界ペルシダーへのりこんでいったのです……。
 作者のバローズが、J・C・シムスの大穴説にえいきょうされている――という意味がわかったでしょう。
 参考のために、ここにペルシダー・シリーズの一覧表を書いておきましょう。
 @地底世界ペルシダー A危機のペルシダー B戦乱のペルシダー C地底世界のターザン D栄光のペルシダー E恐怖のペルシダー Fペルシダーに還る

バローズ――人と作品

 エドガー・ライス・バローズは、1875年(明治8年)9月1日、アメリカのシカゴに生まれました。小さいころから勇ましいことが大好きで、なんとか兵隊になりたいと考え、西部劇で有名な第七騎兵隊にもぐりこみ、みなさんもごぞんじのインディアンの曾長ジェロニモの討伐に参加しかけたのですが、そこで、かれが未成年であることがわかってしまい、騎兵隊をお追い出されてしまいました。
 それからかれは、心の中で、勇ましく戦う男の世界を夢にえがきながらも、いろいろな仕事につきました。セールスマン、事務員、カウボーイ、店員、鉄道警官、金鉱ほり……。しかしそのどれも成功せず、年は35才、子どもは3人もあるのに生活は昔しく、下積みのくらしをおくっていました。
 そんなある日――なにげなく拾いあげた新聞にのっていた小説。それが、バローズの人生を変えてしまったのでした。
 (こんなつまらない小説が新聞にのるのなら、ひとつ、ぼくが子どものころからえがいている夢を小説にしてみてやろうか。)
 こう考えたバローズは、さっそく小説を書いてみました。最初の作品は、出版社からみごとにことわられてしまいました。しかし、それにもめげずに書いた2作めは『オール・ストーリー』という雑誌にのったばかりか、読者の間でたいへんな人気となりました。1912年(大正元年)のことです。これはのちに『火星のプリンセス』という題でよばれるようになった作品です。
 アメリカの南軍(南北戦争のときのアメリカ南部側の陸軍です)のジョン・カーター大尉が山の中でインディアンにおそわれ、どう穴の中に追いつめられて絶対絶命となったとき、とつぜん、そのからだが火星にまではこばれていくのです。この火星の世界というのが、いかにも、この勇ましいことの大好きなバローズの考えそうな荒っぽい世界で、うでが四本ある大男が、八本足の馬にまたがって怪物と猛烈な戦いをくりひろげるといった、すばらしくおもしろい話の連続です。
 この『火星のプリンセス』の成功に自信をつけたバローズが、つぎに発表した作品こそ、世界じゅうでその主人公の名を知らぬものはない『ターザン物語』なのでした。
 アフリカの密林の中で、両親に死なれてしまった赤んぼうが、ちょうど自分の赤んぼうを失って悲しんでいた類人猿のカラにひろわれ、育てられ、そしてりっぱな人間となって密林の動物たちをひきいて正義のために戦うというこの『ターザン物語』は、まもなく映画にもなり、世界じゅうでターザンの名を知らぬものはないほど有名になりました。
『火星のプリンセス』が出てから十年め、エドガー・ライス・バローズが新しく発表した作品これが『地底世界ペルシダー』です。
 この小説がすばらしい人気を得ることができたのは、なんといっても、この話がじつにおもしろく書かれているからです。みなさんには、少しめんどうくさすぎると思って、ぼくは、この本の中で、ごくかんたんに書いただけですが、地底世界ペルシダーに住むさまざまな怪物の描写ひとつにしてみても、じつにこまかく、かつ、おもしろく書かれています。
 バローズは、そのほかにカースン・ネイピアという主人公が金星へいく『金星シリーズ』、月の地底世界をあつかった『月人シリーズ』なども書いております。

 バローズは1940年(昭和15年)、ハワイのホノルルに家をたて、そこに住むことにしました。ところが、そのつぎの年、1941年(昭和16年)の12月8日、日本海軍によるホノルルの空襲によって、太平洋戦争がはじまったのです。バローズは、すぐにアメリカ陸軍に申しこみ、報道班員として戦闘に参加しました。じつに66才のときのことです。アメリカはもちろん、世界でも、この太平洋戦争に参加した、いちばんの年寄りだったのではないでしょうか。バローズは、そのことを、とてもほこりにしていたということです。
 かれは、アメリカ陸軍航空隊のB24に何度も同乗し、日本海軍のうち上げる高射砲に、あやうくやられそうになるような危険な目に何度も会ったのですが、かれは、いつもおちつきはらって、顔色ひとつ変えなかったと、のちにそのB24を操縦していたパイロットがいっています。
 戦争がおわり、ホノルルの家にもどってから5年め、1950年(昭和25年)の3月19日に心臓病のため、バローズは、そのみちたりた男らしい75才の一生をおわりました。そのとき、かれの手もとには、書きかけたまま完成していない作品が15編ものこっていたそうです。
 バローズの作品は、きょうまでに58か国の国々で訳され、その合計は400万冊にものぼるといわれています。


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