ERB評論集 Criticsisms for ERB


厚木淳「インディアン、嘘つかない」

創元推理文庫アパッチ・デビル解説より

Feb.1989


「インディアン、嘘つかない」という言葉がテレビのコマーシャルで流行ったことがある。この台詞はそれだけでは、あまり意味をなさない。そのまえに「白人は嘘をつくが」という言葉を補足しないと。
 本書は『ウォー・チーフ』の続編で、実在した全アパッチの戦闘酋長、ジェロニモのほぼ史実に沿った後半生の軌跡を横軸に(ただし執筆当時には関係者が現存していたせいであろうか、一部の地名などには架空のものが使われている)、その息子――実は白人の子供――であるショッディジージの、外敵にたいする勇猛果敢、ときとして凄惨きわまりない抵抗と闘争を縦軸に描いたウェスタン・スリラーである。E・R・バローズの2編の《アパッチ・シリーズ》は、第7騎兵隊に勤務した自己の体験を踏まえて彼が全力投球した渾身の力作であり、その点は読者にも納得していただけるものと思う。
 本書に登場する合衆国騎兵隊の司令官、クルークとマイルズの二人の将軍も実在した人物で、彼らは南北戦争にも従軍した歴戦の軍人であったが、その両者がジェロニモのヒット・エンド・ラン戦法に翻弄されるさまが、みごとなまでに描かれている。ジェロニモが助命されたのは事実で、読者のなかにはさすがにアメリカ人は寛大だと思われる方がいるかもしれないが、ジェロニモの助命はまったくの例外的な措置であって(助命を条件にしなけれぼ、彼は死ぬまで戦ったことだろう)、スー族をはじめとして、反乱(インディアン側からすれば祖国防衛戦争)したあげくに捕虜となったインディアンは数千人が、軍法会議で片っ端から死刑を宣告されたのである。バローズは紋切り型の場面でも読む者を感動させる名手であり、前編ではイシュケイネイとの永遠の別れが印象に残っているが、本編ではヒーローが愛馬ネジュニーを放した理由をジェロニモにせつせつと訴える場面、そしてそのジェロニモが、23年来の息子の出生の秘密を打ち明ける場面が圧巻といえるだろう。インディアンの語法は実に単純で、その特徴の一つは、一人称の自分をわたしとはいわずに彼という三人称で呼ぶところにある 。ぼく、ツョッディジージ、彼は――という具合である。もう一つ、戦争という言葉。彼らは戦争と戦闘、戦略と戦術をまったく区別していない。有史前から広大な自然に恵まれて自由奔放に碁らしてきた彼らには、そんなややこしい思考を発展させる必要がなかったのだろう。
 本書の訳出に着手するまえ、訳者もインディアンに関する知識が乏しいので――たとえば部族の指導者が酋長(文官)と戦闘酋長(武官)に分かれていることなど、まったく知らなかった――何冊かのインディアンに関する文献を読んでみた。フィクションとはいえ、インディアンの心情の分析にかけては、本書にまさるものがなかったというのが正直な感想である。読者のなかでジェロニモという特異な人物に関心を持たれた方には、菊池東太著『ジェロニモ追跡』(草思社刊)という好著をすすめたい。これにはアパッチの英雄に魅せられたカメラマンの著者がジェロニモの実像を探るためにアメリカに行って、彼の孫や関係者にインタビューした貴重な記録が収められている。
 アメリカでは白人はホワイト、黒人はブラック、そしてインディアンはレッドと呼ばれている。バローズの《火星シリーズ》の読者なら、バルスームの赤色人という着想を、バローズがインディアンのレッドからえたことに思い当たるにちがいない。そして放浪遊牧緑色人の、冷酷で感情を面に出さないという特質なども一部、インディアンに由来することを。さらには『火星のプリンセス』の冒頭で、アリゾナの砂漠で探鉱者になっていた元南軍の将校ジョン・カーターがインディアンに追い詰められて洞窟のなかに逃げ込み、あげくの果てに彼の心霊が暗黒の宇宙空間を越えて火星に飛来する有名な場面を。
 翻訳しながら、訳者の項に浮かんだ勝手な感想を述べさせていただく。
 もしアパッチの徹底抗戦をまったく愚かしいものと考えるとしたら、それは、しよせんわれわれの農耕民族的発想によるものではないかという疑問である。日本人が祖国防衛の危機に直面したことは、歴史上4回あった。最初は元寇の役、あのときは北九州の台風シーズンを、敵がまったく計算に入れていなかったという、相撲でいうなら相手の勇み足、野球でいうなら敵失で、べつにこちらが敵を撃退したわけではなかった。それにたいして敵を完膚なきまでに叩きのめしたのが日露戦争のときの日本海海戦で、これは3回目のときだった。しかし間題なのは2回目と4回目である。2回目のときは明治維新。攘夷を唱えていた革命家たちは政権を握ったとたんに、あっさり鎖国をやめて開国に方針を転換し、それまで攘夷の対象として憎悪してきた欧米列強とは戦わず、彼らに追随した結果、東洋で唯一の軍事大国になった。実に機を見るに敏! 4回目は太平洋戦争のとき。本土決戦、神州不滅を唱えていたくせに、これまた原爆2発であっさり降伏。それまで敵視していた民主主義に転換した結果が、今日の経済大国。実に機を見るに敏! べつに先人の賢明な選択にけちをつける気持ちは毛頭ないが 、その変わり身の速さと抜け目のなさでは、よかれあしかれわれわれ日本人は、まったくアパッチとは対照的な民族といえるのかもしれない。
 なお本書で初めてバローズに接する読者のために、彼の経歴を簡単に記す。
 1875年シカゴ生まれ。さまざまな職業を転々としたあげく小説に手を染め、1912年『火星のプリンセス』を発表して作家としての地位を確立した。これはその後、全11巻の《火星シリーズ》に発展し、雄大なスペース・オペラの端緒を開いた傑作として知られている。以後《ペルシダー・シリーズ》《ターザン・シリーズ》など70冊に及ぶ作品を執筆して、アドベンチャー・フィクションSFの分野において、アメリカきっての人気作家となった。第二次大戦には特派員としてマリアナ作戦に参加、1950年に没した。主要な作品はすべて邦訳がある。

注:この文章は厚木淳氏の許諾を得て転載しているものです。


ホームページへ | 語りあおう